私たちは、本能的に自分のオーラの色を選ぶ
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』:【16 「バランス」ボトルの使い方】から
ヴィッキー・ウォール
オーラソーマのボトルが並んだ棚を見て「なんか、このボトルに惹かれるなぁ」と感じるとき、それが思考によるものでないことは確かですよね。
はじめてボトルと出会った場合なら、そこにはなんの情報も介在していないでしょう。
記憶による情報がいっさい無ければ、思考の働かせようもありません。
その魅力というか共振作用は、知的な領域で働いているのではなさそうです。
ということは、いわゆる知的障害を持っている方などにも、その共振作用は働くのではないか、ということも想像されますね。
そして、実際、それは働くらくのだそうです。
私たちがどんなに論理的思考で鍛え上げていても、そんな大脳前頭前野のシワの数なんか関係なしに、ボトルのメッセージは私たちの存在の本音を直撃するらしいです。
論理性で武装した私たちの知性の検閲をすり抜けて、ボトルのメッセージは私たちの中核まで届いてしまうらしいです。
だから、「色の言語」を知的に知る必要はないわけですね。
そう、ヴィッキーさんによれば、「重度の精神障害児ですら、自分のオーラの色を選ぶことができるの」だそうです。
——————————————————————–
最初の博覧会のとき、私はスタンドにやって来た人を観察するうち、「内なる目」が直感的にとらえたオーラの色は、ほとんど例外なく、その人の選んだ最初の「バランス」ボトルの色と一致することに気づきました。
それはまるでオーラソーマの「バランス」が鏡となって、それぞれの人が自分のほんとうの姿を見出すような具合なのです。
どうやらオーラを認識する力は、すべての人のなかに潜んでいるらしいのですが、それは別にそれほど不思議なことではないでしょう。
というのも、結局、私たちはすべて、時の初めから、ずっと自分とともにいたわけですから。
たとえ超意識のレベルのことであるにしろ、自分のことは他の人のことよりもよく分かっています。
私たちは、本能的に自分のオーラの色を選び、直感で自分の体に必要な物を知るのです。
重度の精神障害児ですら、自分のオーラの色を選ぶことができるのです。
自分の名前さえ口にできない子どもが、自分の故郷である色と光のワンダーランドで、自分の姿を見つけられるというのは、本当にすばらしいことではないでしょうか。
障害を抱えているその子のどこかに、時の初めから変わらない光の記憶があって、それが、その子とコンタクトする手段のひとつとなるのです。
私はまた、いい関係にある人たちは、相手の選んだ色とまったく同じ色の組合せか、または、上下どちらかが同じ色を選ぶことに気づきました。
それは子どもにも当てはまります。
ふたごの場合、一方がどの色を選んだのか知らなくても、もうひとりは同じ色の組み合わせを選ぶことがよくあります。
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p128)
——————————————————————–
私たちの「知性」には騙されない何かがあるって聞くと、かえって、ちょっとホッとする感じもありますね。(*^_^*)
pari 記