再掲:ヴィッキー・ウォールとオーラ・ソーマの霊に捧ぐ(ドミニク)・4

ドミニク先生のお話は、今回で完結です。
じっくりとお楽しみください☆


ヴィッキー・ウォールとオーラ・ソーマの霊に捧ぐ その4                    「下積み時代」(2003年7月)

$オーラソーマ総合情報サイト・ブログ-デヴオーラ

写真はリヴィングエナジー6号より。 http://artbeing.com/book/LE06.html
●初期のコース
このコースの感じと雰囲気はその後私が参加することになる初期の頃の多くのコースと似ていました。 そこには、ある興奮した空気と、何かこの世ならぬものの感じがいっしょになっていました。 この印象は、初期の頃の会場がしばしば思いっきり風変わりで古風な家具が置かれた普通の家のリビングルームで、それが他の部屋から持ち込まれた椅子でいっぱいになっていたという事実にも関係あるでしょう。 正面には白い布の上にオーラ・ソーマの宝石たち、その場の焦点であるカラーボトルが並んでいました。 そのまわりには降霊会の小道具のようにさまざまな手書きの印が並べられ、20世紀初頭の神智学の集会もかくやと想像される雰囲気で、まるで別の時間に引き戻されるようでした。
当時ヴィッキーは立ったまま、しばしば
「起き上がりなさい、我が子らよ」
というような言葉で一日のコースを始めたものでした。 彼女はポマンダーをみんなに分けて、私たちが自分の寺院(肉体と個人的な空間)と、その場の空間という寺院を浄化できるようにしました。 彼女はロウソクを捧げ持って、私たちを瞑想に導きました。 それから私たちは、魂とスピリットを語り,植物とクリスタルについて、生と人間の経験について語る彼女のインスピレーションの飛翔による講義を受けるのでした。 話している間はずっと、まるで彼女自身が旧約聖書の預言者でもあるかのように、聞き慣れない聖書風の文体で話しました。
これらの初期の頃の巡回講義は、そのままデヴォーラの初期に融合していきました。 オーラ・ソーマが自分でセンターを創設するところまで定着した時期でした。
●テットフォードへの移転
美しいけれども遠い田園地帯に位置するこの静かなテットフォードの村は、優しい緑の丘に囲まれていました。
デヴォーラとは、1987年にオーラ・ソーマの常設センターとするために1987年に購入された建物の名前です。 それはしばらく無住になっていて、屋根には鳩が巣を作り、庭は荒れ荒れ放題になっていた古い牧師館でした。 しかし自発的な助力の手と家具や什器の寄付のおかげで、この館は1987年の夏の間に活気あるセンターに変身しました。 1987年の10月、最初のコースがデヴォーラで開講されました。 続く数年間、デヴォーラは春から秋まで、30のコースとそれ以上の講師が世界中からの引き寄せる学生でいっぱいになりました。 最初期の頃は各部屋を4人以上でシェアし、勉強、料理、食事、洗濯の共同生活をしました。 それは大いなる興奮の時期、混沌たる中にも何か特別なものが始まりつつあるという感じが横溢していました。
これこそがオーラ・ソーマの第一波でした。



ドミニク 記  (ぱりさん 翻訳)

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