物語はクライアントの中に

物語はクライアントの中に


「単純さの価値」から        ドミニク・ヨーマン
       人間は物語が好きですよね。
というか、物語を編むために“誕生”という幻想の儀式を通り抜けて、意識の“種”は人間になるのかもしれません。
形あるものに魅せられた意識の“種”が、物語を紡ぐ(=自己同化の)権利と引き換えに、自分が何であるかの記憶を宇宙劇場の入り口で預けるのかもしれませんね。(*^_^*)
だから宇宙劇場のなかで映画を見ている間は、自分が何であるかを忘れている。
忘れているからこそ、見ている映画の登場人物に自己同化できるわけですものね。
ところが、あまりにも面白い映画を何度も何度も見つづけているうちに、今度は自分が“宇宙劇場”のなかで映画を見ているという自覚を失ってしまう。
こうなるとちょっと厄介です。(^^;)
自己同化した映画のなかの登場人物の状況に、耐えられなくなることだってあるわけです。
そうやって迷いに迷ったら、今度は本気で自分が誰なのかを知りたくなるかもしれません。
そんなふうにスピリチュアルな探求が始まったりするのかもしれませんね。
でも映画の登場人物に自己同化してきた時間幻想のなかでの歴史があまりにも長いものだから、自分というものが“誰か”なのだと思いこんでしまっているわけです。
つまり、自分には固有の物語があるのだと。(*^_^*)
さあ、そんな幻想時間のなかにはいろいろな物語の層が織り込まれているようです。
ここでは、セラピストとクライアントというひとつの時代の物語が溶け去っていこうとしています。
そして新しく、けっして自分の立場を主張しない、クライアントの物語解読のお手伝いとしてのセラピストが登場するのでしょうね。
そして、クライアントの内面的な叡智の物語が流れだすまで、セラピストはただ脇に控えていて最小限度のお手伝いをするだけなのでしょう。
では、ドミニク・ヨーマンの記事「単純さの価値」から、その辺りに触れた部分をご紹介しましょう。
       —————————————————————— 一般的に言えば、4 本のボトルが選択されると、私はまずこのコンサルテーションの可能性と、プロセスの概要についてクライアントに説明することからはじめます。 私が説明するのは、この4 本のボトルがクライアントの内面のある重要ななにかの鏡であること。 そして、このコンサルテーションはその重要な内的なテーマを開き、探求する機会であること。 この探求を通じて、私たちは新しい理解に到達するかも知れず、それが古い物語からの解放となり、けっして過去を否定するのではなく、それを統合する新しいなにかの出発になるかもしれないということを話します。
私はまた、コンサルテーションは4 本のボトルのリーディングではなく、物語はクライアントの中にあり、また、それゆえにこの探求のプロセスは、私たちが一緒に行なうことです、とも言います。
それから私は、4 本のボトルのポジションについて、それぞれのポジションが表す意味について少し説明します。 また、選ばれた色を見て自分が受けた感じ、たぶんそこに見られる特定のパターンや、ボトルに含まれる色の一般的な意味といったことについても少し話します。
これらのすべてにおける私の目的は、状況を設定し、切り口を用意し、いくつかの種を蒔くことです。
しかし、私にとって本当に重要なことは、当人自身のものではない物語にクライアントを導かないことです。 可能なかぎり、私はオーラソーマ・コンサルテーションの真のプロセスがはじまることを望んでいます。
このプロセスとは、私の考えでは、クライアントと選ばれたボトルのエネルギーとの出会いです。 ボトルは、その人の中にある重要な意識を刺激するための偉大なツールだと私は思っています。
私にとって、つねに重要なのは、自分が押しつけにならないやり方で仕事をしているということです。 いつも最初にクライアントに尋ねるのは、なにかやってみたいことはないか、(どんなことであれ)より深く探求してみたいことはないかということです。 もし、その答えが「ノー」であれば、私はけっしてその境界線を超えません。 (ただし、それはコンサルテーションの中で、私が再訪するかもしれない境界線ではありますが) もし、その答えが「イエス」であれば、一般的に次に尋ねるのは、どこからはじめたいか、どのボトルからはじめたいかです。
できるかぎり、そのコンサルテーションがクライアントの内なる智慧と、その準備を尊重することを願うのです。 私がそこにいるのは彼らをサポートするためであり、ひたすら彼らの役に立つためだからです。
          『リビング・エナジー』Vol.6(p125)
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なるほど。
ここではセラピストは、クライアントを癒す人でもなく、クライアントの物語を解説する人ですらなく、ただクライアントの物語を感じる人として控えているのでしょうね。
色々な物語の紡ぎ方がありますね。
宇宙は意識の種が飽きるまでいろいろな物語に耽溺することを許してくれるところなのでしょう。
pari 記

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