でも一人でいるのは限りなく寂しかった

でも一人でいるのは限りなく寂しかった
    「オーラソーマ 新たなる旅のはじまり」から   鈴木三穂子
        人間の苦しみって、なんなんでしょうね。
いわゆる“生まれた”ばかりのころは、何も考えていたようには思えません。
永遠からやってきたのでしょうか、何の記憶もありません。
もし何の記憶もないところからやってきたのだとすれば、何の記憶もないところが故郷なのかもしれません。
だとしたら、何の記憶もないところにいつか帰っていくのかもしれませんね。
でも人間としてのこの身体をもって地上を動き回っている間は、いろいろ記憶があります。
そしてその記憶をつなぎあわせて物語を紡ぎだし、その物語によってさらにその記憶を強化していく。
人間の喜びも悲しみも、その記憶のなかの物語のなかにあるわけですね。
あるいは常にその記憶をおさらいして、その物語を強化し実体化していくことの中にあるのでしょうね。
そしてその物語の中から、“自分”にとっての望ましい状態を識別して、その望ましい状態をさらに望ましくしようとしたり、その状態が奪われることに抵抗しようとするわけでしょう。
幸福を求めるということは、ある意味では“自分”は幸福ではないと宣言することでもあるでしょうね。
こうして“自分”が中心にいる物語を紡ぎだし、その物語の中に入れ込んでいくのでしょう。
別の言葉で言うなら、人間が目指している幸福は、記憶で紡ぎだされる物語の中の【何者か】として幸福になることなのかもしれませんね。
でも、それはとても難しいことのように思われます。
そして、最後には必ずこの身体は崩壊するわけですから、それは結局、見果てぬ夢に終わる運命にあるのかもしれませんね。
一方、この身体が生まれて物心つく以前には、ほとんど記憶がありません。
でも、そこに不幸があったという気はしない。
それどころか、いつもその故郷の幸福を求めているようでもあります。
でもその幸福は、【何者でもない】ことの安心、幸福であったような気もします。
しかし、いったん身体をもち、【何者か】になってしまったら、人間は他者たちの世界に住まなければならない。
そこでは、独りになるということは、とても淋しいことなんですよね。
この状況を「人間はひとりでは生きられない」とも言い表します。
【何者か】でありながら、なおかつ寂しさを越えていく。
人間が奮闘によって創りだしている物語は、そういう物語なのかもしれませんね。
鈴木三穂子さんの記事を読んで、そんな思いに駆られました。
では鈴木さんの記事「オーラソーマ 新たなる旅のはじまり」から、そのあたりの体験に関する部分をご紹介しましょう。
        ————————————————————— でも一人でいるのは限りなく寂しかった
今にして思えば、私は全く出会うべくしてオーラソーマと出会ったと思う。 それは、私が求めていたものを、肉体という現象を持つ人に見いだすことは難しいのではないかと感じていたからだ。 様々なあせりや疑問や矛盾に答えを出してくれる存在などなかった。 でもあきらめられなかった。 何故ならその存在なしに私が私らしく生きることなどできないと思っていたからだ。
本当の安らぎを得るためには、どうしても争いをさけられないのだろうか。 それならば、いっそのこと一人になりたかった。 でも一人でいるのは限りなく寂しかった生きるって、なんて苦しいんだろうと思っていた。 それが人生なのかとも思った。 それでもときどききこえてくる笑い声や、メロディーや、気持ちの良い風に吹かれて木々に埋もれたような気持ちになることで何とかがんばっていた。
その私が初めて自分のリーディングを受けたのは、ファンデーションコースの授業中に行われたものだった。 私の愛すべき師であるフィリッパ先生は、少し離れたところから私の四本のボトルを見つめ、淡々と話し始めた。 感じることで受け取ることができなかった私は、一生懸命にノートにその言葉を残していった。 そのあいだに何度かペンが止まった。 「大いなるものの意志をこの地上に降ろす役割」「子どもの頃は人と違うエネルギーを感じてコミュニケーションが困難だった。」等々…..。 深い眠りに落ちていたその感覚の両肩を揺さぶられて、私は目が覚めたようだった。 でも今だからこそこう表現できるのだけれど、そのときは、ただ涙が出そうな感覚だけがあった。 とてもなつかしい人にあったような気がした。 不思議だった。 こんなにも心が揺れるものなのかという衝撃があった
自分が選んだボトルにこんなにたくさんの意味があって、そしてその言葉の抽象的ではあるが的を得た表現に驚いたり、少々反発を感じたりした。 それでもまだ私は一生懸命に頭で理解することを急いだ。 ファンデーションコースが終了した頃に、やっと入り口に立ったと思う。 私はまさしく入り口にたたずんで、どうしたらいいの?と自らに問いかけた。
このハートの感覚と、頭の中をぐるぐるとまわり続けている思考が大きな葛藤を生み出した。 今なにをするべきなのかわからなかった。 ただ、ピンクのポマンダーを心地よく受け入れられる自分が好きになった。 これが私にとっての最大の変化で、そして収穫なのだった。 そして暑い暑い夏が終わろうとしていた。 ファンデーションコース終了のその日、私は家に帰りたくない気分だったがきちんと帰った。 そして一時停止のスイッチが解除され再びビデオテープが動き出すようにまた日常がスタートした。
                 『リビング・エナジー』Vol.1(p54-55) —————————————————————
なるほど。
こうして「再びビデオテープが動き出すように」、また物語は展開していくのですね。
物語のなかにいて幸福を見つけるというのは、とても難しいことかもしれませんね。
pari 記
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