ボトルの美しさに惹かれてしまい
「色( 光)・音・香りがもたらすレイキとの相乗効果」より 平山沙亜斜
今こうしてこのブログに訪れてくださっているあなたは、どんなふうにしてオーラソーマと縁ができたのでしょうか?
オーラソーマは“スピリチュアル情報の十字路”とも言えるほどに多様な霊的伝統との接触面を持つので、かなり多様な入り口がありうると思います。
でも、どうなんでしょう、もしかしてあなたは、“オーラソーマのボトルの美しさに惹かれた”のではありませんか? (*^_^*)
そうなんです、理屈はともかく、ボトルの効果はともかく、“ボトルの美しさに惹かれた”という方が、とても多いように思われます。
オーラソーマの場合は、この“ボトルの美しさ”というのがとても普遍的な最初の入り口のようなのです。
“ボトルの美しさ”に惹かれたのなら、これはもう理屈ではありませんから、自分でも納得しやすいですよね。
実際、オーラソーマは“魂の鏡”とも言われ、マインド(つまり、理性)の防御壁を迂回して、あなたの内面の必要に直接訴えかけます。
人生にはとても不思議なところがあって、じつは“人は自分の思い込みを生きているだけ”と言うこともできます。
つまり、簡単に言うと、自分はこういう人間だ、と思っているから、その人はそういう人間だというわけです。(*^_^*)
身も蓋もない話になってしまいますが、実際に、それが事実であるような側面が人生にはあります。
だから、時として人は旅することがあるのかもしれませんね。
なぜなら、誰ひとり自分を知っている人間がいないところでは、自分以外に自分がどんな人間であるかを知っている人はいないわけですから。
しかしそうなると、そこでは実際は自分は“自分の行為で示したような人間”であるだけですよね。
もしそこで、それまでとはまったく別の人格の人間として振る舞うことができれば、そこではそのような人間として受け入れられることになります。
そしてそこでは、そのような人格としての人との交流が起こり、その関係のなかでも自分という人間が創られていくことになるでしょう。
ということは、ある意味では、人は一瞬一瞬、自分の行為で自分という人間を創造しつつあるということでもあります。
人格は対人関係のなかでも創られていくでしょうが、でもやはり人格を創造する最大の要因は自分はこういう人間だという当人の思い込みしょうね。
私たちは自分の思い込みを生きているだけなのかもしれません。(^^;)
しかも、その自分の思い込みによる自分に対する評価もまた、あまり客観的なものではないようです。
自分が苦手だと思っていることは、実際は単にそう言われたことがあるだけか、あるいはそのことに関する当人の鑑識眼と評価基準が高すぎるだけなのかもしれません。
「色( 光)・音・香りがもたらすレイキとの相乗効果」に関する平山沙亜斜さんの文章は、そんなことを想像させるようです。
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約20年前、レイキの発祥地である鞍馬に移り住んだ私は、そこでレイキの活動をスタートしました。
1日のはじまりは鞍馬山の散歩で幕を開け、緑豊かな自然と鳥や虫の鳴き声、草花の香りは私の魂を愛と調和で満たしてくれました。
そんな暮らしの中、自然の香りや音にとても敏感になり、もともと香りや音楽が好きだった私は、より自然との調和が取れた音や香りを求めるようになりました。
そして、それをレイキに取り入れたいと思ったのです。
しばらくして、京都でオーラソーマに出会いました。
瞑想仲間である友人が、インドのプーナからボトルを持ち帰り、私が選んだボトルでメタフィジカルリーディング(現在のようなリーディングではなく、エネルギー的な身体や、チャクラの状態をハートのシンクロニシティを使ってリーディングしていく)をしてくれたのです。
そのときはリーディングの内容よりも、ボトルの美しさに惹かれてしまい、また香りにも惹きつけられ、セッション後にターコイズのポマンダー(当時は4本のボトルを通してではなく、自分の好きな香りを選ぶ)を、その友人から購入しました。
そのポマンダーを使っているうちに、ますますオーラソーマに興味が湧きました。
そのとき、ある噂を耳にしたのです。
なんと、オーラソーマ(その頃は日本ではほとんど知られていませんでした)が、インドのプーナにある OSHO コミューンで今いちばん人気があるということを聞いたのです。
私は、すぐにオーラソーマのワークを受けにインドまで行きました。
そのセミナールームは、ピラミッドの建物の最上階で、レイキとオーラソーマのワークのみしか行っていなかったので、すばらしいエネルギーに包まれていました。
また、ワークは現在のようなトレーニングコースではなく、ただボトルを観たり身体にあてて感じてみたり、オイルを使ってのマッサージやヒーリングをしたりという感じで、それは気持ちのよい贅沢な6 日間のコースでした。
『リビング・エナジー』Vol.6(p44)
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まだまだ黎明期のオーラソーマという感じですね。
それなりの曖昧さのなかに自由な雰囲気があったのでしょうね。
pari 記