瞑想について その10

和尚アートユニティで行っている鎌倉瞑想お茶会のある回では、最初の30分ほど、OSHOが人々に教えはじめたころ、マババレシュワールという場所で三日間の瞑想キャンプを指導した際の講話と質疑応答についての記録“The Path of Meditation”「瞑想の道」という本の内容について解説をしました。
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残念ながら、この本は現在、絶版になっていて手に入りづらくなっています。 この本のなかで、瞑想をするにあたっての基本的な事柄が丁寧に、そして弟子に対して親密な口調で語られています。
しかも、ここでOSHOが語っていることは、彼自身がたどってきた道であり、単なる理論ではなく、彼自身の体験に基づいた道なのです。
彼は、この集いの講話で、次のように語りはじめます。
「はじめに、あなたがたを歓迎したい。 それはあなた方が神性への渇望を抱き、真理への渇望を抱いているからだ。
真理への渇望を感じたことがある人は幸運だ。 無数の人が生まれるなかで、真理への渇望を覚える人はほんのわずかしかいない。
真理を知ることは、大いなる祝福だ。 だが、それに対する渇望を抱くことも、同じくらい大いなる祝福なのだ。 たとえそれを成就しなくてもかまわない。 だが、その渇望がまったくないとしたら、実に不幸なことだ。
わたしは、真理を知ることが重要なのではないと言いたい。 重要なのは、あなたがそれを渇望していること、その体験に向けて全力をつくしていること。 この目的のために、できることはなんでもしようと決意していることだ」

ちょうど私が瞑想に興味を持ち、OSHOに会いに行ったときのことについて語ってくれているような言葉で、初心が思いだされました。
OSHOは瞑想をするにあたって、この真理への渇きと決意をすることがとても大切だといいます。
そして、最後の一歩を満足と成果のあるものにしたければ、はじめの一歩を楽天的に踏みだすことで、その可能性は高くなるといいます。
この二つのことは、瞑想の道に限らず、決意することと楽天的であること、というのはなにを始めるにあたっても、基本的なことのようにも思われます。
OSHOがこの本で語ってくれている瞑想の道は、実は私たちが人生を生きていく上での人生の道を語ってくれているようでもあります。
尚 記
       
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