瞑想について その8
そこで、このコーナーでは、瞑想とは何かということを考え、理解するひとつの試みとして、瞑想についてのシリーズでお送りしています。
今回は「瞑想について その8」、ヨーガの技法における瞑想を考えてみましょう。
瞑想というのはさまざまな方法、テクニックがありますが、瞑想とテクニックとは異なります。 本当の瞑想はテクニックを超えたところにあるともいえますが、そのテクニックが瞑想に至る助けにもなります。
人それぞれに個性があるように、人それぞれにあった瞑想のやり方というのもありますし、あるいはまたそれぞれの宗教などによっても瞑想についての考え方や方法も異なります。
今回紹介するのは、成瀬雅治という人の「瞑想法の極意で開く精神世界扉」という本による瞑想法です。
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「瞑想法の極意」の改訂版だとのことです。
この本では、成瀬氏は「日本ヨーガ界の第一人者」と紹介されていますが、ヨーガ的な考え方の瞑想法に、著者独自の体験と方法などか書かれてあり、たいへん興味深いです。
最近はヨガのブームが復活してきているようで、ジャズダンスに近いようなヨガまであって、さまざまなヨガがあるようです。
成瀬雅治という方は、筋金入りのヨギ(ヨーガ行者)ともいえる人で、空中浮揚をやってのけたり、全インド密教協会からヨーギラージ(ヨーガ行者の王)の称号を得ている人でもあります。 そういう意味で、単に伝統的なヨガ理論や瞑想法だけではなく、体験に裏付けられた現在に活かせるヨガの瞑想法の紹介ともいえるでしょう。
ヨガ的な考え方の瞑想にとって特徴的なのは、まさに一歩一歩段階的に練習していくということと、肉体や精神面でのコントロールということを重視していることです。 そこは禅やスーフィーやタントラなどの瞑想とは異なっています。
ヨガ的な見方からすれば、それらは例えば禅などについて「本人が自分の瞑想レベルを確かめる手がかりがない」という欠点とうつり、自分が高いレベルに達したという勘違いが生じたりするのではないか、という疑問が提示されたりもしています。
おそらく、そのために禅などでは師を求め、師につく、ということが大切にされていたりもします。また、師から伝授されるという要素が必要なのも、そういうところにあるのかもしれません。
成瀬氏は師につくこともなく、独学で修行を積んでこられている方でもあるので、そういう意味でも段階的に修行できるヨーガということが性にあっていたのでしょう。
それに加えて、他の著書にも紹介されているように、成瀬氏自身が小さな7、8歳の子供のときから自然とヨーガのようなことができて、過去生でもヨギであったと思われるような生まれながらの素質を持っておられる方でもあるので、これだけのことが可能であったのでしょう。
それはももかく、そもそも「瞑想とは何か」ということについて、成瀬氏によると「解脱(生まれ変わりの輪廻から解放される)に至るための最良の手段」であり、「サマーディ(悟り)体験のための最も合理的な技術」ということになります。
そして、それは「自分自身の内にある「神性」に気づくものであり、「真理」に至るのも、「究極の答え」を得るのもすべて自分自身の内部から得られるものである」ということになります。 そのため、瞑想とは自分の内側を探すものであり、自分をどれだけ見つめ、自分を知っていくためのもの、ということにもなっていきます。
そして瞑想を深め、極めたときには、肉体を含めたすべての執着が消え去り、「宇宙のすべてと一体になる」「すべてと融合する」「梵我一如」という、これ以上ないもないという究極の「純粋状態」に至ることができると言います。
そのサマーディ(三昧)に至るステップ、ないし技法としてヨガの根本教典として知られる「ヨーガスートラ」では8つの段階で示されています。
それは、1ヤマ(禁戒) 2ニヤマ(勤戒) 3アーサナ(坐法) 4プラナーヤーマ(呼吸法) 5プラティヤハーラ(制感) 6ダーラナー(集中) 7ディヤーナ(瞑想) 8サマーディ(三昧)
そして、成瀬氏は瞑想(ディヤーナ)までの過程を、7つのキーワードで説明しています。 それは「瞑目する」「内側に意識を向ける」「音を聞く」「1点に集中する」「集中状態の移動」「視覚化する」「呼吸」です。
それぞれ成瀬氏の視点で、わかりやすく、実践的に説明されています。
自分で瞑想を実践してみたいと思われる方には、多くの参考になるヒントが述べられている本です。
興味のある方は参考にされると良いかと思います。
尚 記
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