ただボトルを観たり感じたり

ただボトルを観たり感じたり  
「色( 光)・音・香りがもたらすレイキとの相乗効果」から  平山沙亜斜
        現在ではオーラソーマのコースと言えば既に完成されたものが定まっています。 http://aura-soma.jp/workshop/qualification_system.html
そこでの学習内容も、大枠の時間の使い方もしっかり構造が決まっています。
これは“資格認定コース”ですから、誰が講師でもそんなに大きな違いが起こらないように、厳格に定めるよりしかたがないでしょうね。
でも、最初からこういうコースが定まっていたわけでないだろうとは、誰が考えてもわかります。
色々な計画や試行錯誤や経緯があって、じょじょに現在のような洗練されたコースが確定してきたのでしょうね。
しかしこれが今ほどしっかり固まる以前にも、世界のあちこちでオーラソーマとの出会いの場がチラホラと発生していたことは間違いないでしょう。
その頃には資格認定コースではないオーラソーマ・ワークが一時的にあったみたいです。
今回は、オーラソーマの普及過程の最初の頃に発生した、そんなの牧歌的な“オーラソーマコース”の風景をご紹介しましょう。
今は関西を拠点にオーラソーマの活動を展開なさっている平山沙亜斜さんは、インドのプーナで行われていた夢のようにのどかな6日間のコースに参加なさったことがあるそうです。
         ———————————————————— 約20年前、レイキの発祥地である鞍馬に移り住んだ私は、そこでレイキの活動をスタートしました。 1日のはじまりは鞍馬山の散歩で幕を開け、緑豊かな自然と鳥や虫の鳴き声、草花の香りは私の魂を愛と調和で満たしてくれました。
そんな暮らしの中、自然の香りや音にとても敏感になり、もともと香りや音楽が好きだった私は、より自然との調和が取れた音や香りを求めるようになりました。 そして、それをレイキに取り入れたいと思ったのです。
しばらくして、京都でオーラソーマに出会いました。 瞑想仲間である友人が、インドのプーナからボトルを持ち帰り、私が選んだボトルでメタフィジカルリーディング(現在のようなリーディングではなく、エネルギー的な身体や、チャクラの状態をハートのシンクロニシティを使ってリーディングしていく)をしてくれたのです。
そのときはリーディングの内容よりも、ボトルの美しさに惹かれてしまい、また香りにも惹きつけられ、セッション後にターコイズのポマンダー(当時は4本のボトルを通してではなく、自分の好きな香りを選ぶ)を、その友人から購入しました。 そのポマンダーを使っているうちに、ますますオーラソーマに興味が湧きました。 そのとき、ある噂を耳にしたのです。
なんと、オーラソーマ(その頃は、日本ではほとんど知られていませんでした) が、インドのプーナにある OSHO コミューンで今いちばん人気があるということを聞いたのです。 私は、すぐにオーラソーマのワークを受けにインドまで行きました。
そのセミナールームは、ピラミッドの建物の最上階で、レイキとオーラソーマのワークのみしか行っていなかったので、すばらしいエネルギーに包まれていました。 また、ワークは現在のようなトレーニングコースではなく、ただボトルを観たり身体にあてて感じてみたり、オイルを使ってのマッサージやヒーリングをしたりという感じで、それは気持ちのよい贅沢な6 日間のコースでした。
コースが終わって日本に戻り、1995 年の3 月に和尚アートユニティの江谷さんが、日本で初めてアメリカ・セドナでのオーラソーマ・ファウンデーション(レベル1 コース)コースツアーを企画されたことを東京の友人から聞いて、早々と連絡を取って申し込み、関西からは確か私ひとりだけの参加でセドナに行ったのです。
大自然の豊かなところで、瞑想と組み合わせてオーラソーマを受講できたことは、私にとって、とてもラッキーなことでした。 また、居心地もよかったので、アドヴァンス・コースまで(レベル3 コース)はセドナで習得しました。 レベル3 を終えてから、日本でのレイキ活動にオーラソーマを本格的に取り入れ、たいへん相乗効果があることを実感しました。

                 『リビング・エナジー』Vol.6(p44) ————————————————————
なるほど……。
一期一会という言葉がありますが、そのときそのとき宇宙でたった一度しか起こらない出来事が夢のように起こっては消えているんですね。(-_-;)
時代も若さも一瞬一瞬のものなんだなと改めて感じさせられました。
pari 記

Twitterボタン Twitterブログパーツ