日本人として生まれることのギフトとチャレンジ

日本人として生まれることのギフトとチャレンジ
「日本でのオーラソーマコース」から    by フィリッパ・メリヴェーレ
        今や日本が世界でももっとも「オーラソーマ」の普及規模の大きな国になっていることをご存知でしょうか。
そして日本と西洋の国々では、「オーラソーマ」が普及・浸透している方々の年齢層にも有意の差があるのだそうです。
西洋の国々で「オーラソーマ」が受け入れられているのは、主としてすでに何らかの分野で一定のスピリチュアルな遍歴を重ねてきた方々、つまりある程度年輩の方々が多いそうです。
それに対して、日本では相対的に若い方々が多く、まず何よりもボトルの美しさに無条件で惹かれることから「オーラソーマ」の世界に入ってくる方が多いようです。
日本人が「オーラソーマ」に惹かれるのは、西洋人の場合とはまた何か違った原因とか理由が働いているのかもしれませんね。
日本で最初のオーラソーマコースに講師として招かれたフィリッパ・メリヴェーレさんのインタビュー記事(リヴィングエナジー 創刊号)を読んで、改めてそんなことを感じさせられました。
では、「日本でのオーラソーマコース」の一部をご紹介しましょう。
         ——————————————————————– 私が日本でどんな経験を得たかですか?
そうですね、私はここへ、意識のレベルでは日本についても、日本人についても、まったく何も知らないで来たのですが、とても印象的なことがいくつかありました。
遠く故郷を後にし、いろいろな意味で独りの身には、日本人の気前のよさと温かさは私にとって何より美しいギフトでした。
日本人は大変礼儀正しく、細かいことにも気を配る人たちで、それによって生活に調和を与えています。 西洋の私たちは、このことから多くのことを学ぶ必要があるでしょう。
私はまた、人々が、そしてこの土地がとても穏やかなのにも大変驚き、感動しました。 ロンドンやパリといった首都に慣れている西洋人としては、これほどの規模を持ちながら、ほとんど恐怖を感じないでいられる東京のような都市の存在は驚異なのです
ロンドンでは、東京にいるようには簡単に恐怖を手放すことはできません。 私はこのことを大変不思議に思い、いろいろと考えてみました。 人間性と人間の経験の核にあるものは、普遍的なものです。 そして色を通じて人に働きかけるということは、この真実のエッセンスを発見するということです。   私が思うに、異なるのは表われなのだと思います。 大変大胆なことを言わせてもらえば、日本に転生してきたということは、西洋人とは異なる一揃いのギフトとチャレンジを選んだということなのでしょう。 そしてこの同じ資質が、私が日本で教える際に、チャレンジとして現われてきたりもするのです。
日本人の穏やかな性質は、別な側面から見れば、消極的ともいえるのです。 それは、受け入れ、従うという在り方で、日本人に深く根づいているのです。 ある意味では、私はこれほどうやうやしく講義を聴いてもらえることは、ありがたくもあり感動も覚えるのですが、その反面、私は実際、もっとたくさんの質問やディスカッションに馴れているのです。   オーラソーマは、人に力を与えるという側面を持っています。 自分の自主性と強さを理解する助けになるのです。 日本でこれほどオーラソーマが広がっている理由の一つは、ここにあるのでしょうか。
力を与えるという側面が、ここの女性たちに特に関連があるといっては言い過ぎでしょうか。 日本においても世界の他の国同様、生徒の割合は女性が10から20であるのに対し、男性が1です。
私たちはこの惑星上の深い意識のシフトに出会っており、この進化の中心にあるのは、内面と外面の男性性と女性性にバランスを取るということです。 人間の精神と魂と、社会の枠組みを通して。 一般的に言って、日本の生徒の選ぶボトルが圧倒的に前半のものが多い傾向にあること、そしてプロセスが進むにつれて後半のボトルへと移行していく様子は、とても興味深いものです。
 
          『リビング・エナジー』vol.1
           『リビング・エナジー』創刊号(p46) ——————————————————————–
なるほど……。(-_-)
日本の大都会の安全性については、これとまったく同じような感想を別のウェスタンの方からも聞いたことがありました。
なのでこの記事を読んだときは、やっぱりそういう感じを持たれるんだなと少し驚きました。
同じ「オーラソーマ」というシステムに近づいても、もしかしたら、ウェスタンの方々の場合と日本人の場合は、その理由や意味合いが少し違うのかもしれませんね。
人格の“バランス”という中心に近づくために、両者は違う必要と入り口からアプローチしているのかもしれませんね。
pari 記