実にユニークな面々が集った

実にユニークな面々が集った
「オーラソーマをふりかえって」より  野田幸子
       何事にも始まりはあるものです。
今やニューエイジ・スピリチュアリティの一翼を担う存在となったオーラソーマが、母国イギリスで産声を上げたのはわずか三十年ほど前のことでした。
日本に伝えられたのは今から二十年前、1995年のことだったんですね。
当時それを日本に伝えることに情熱を感じた人たちも、まさかこの国が世界で一番普及する国になるとは思いもしなかったでしょうね。
当時まだ誰も知らなかったオーラソーマに何故か惹かれ、この美しいツールを自分の国の人たちに広めたい、という思いに駆られた人たちが何人かいたようですね。
まるでオーラソーマに呼び出されたかのような、そんな情熱に駆られた何人かの人たちに、マイク・ブースのご夫妻が日本での普及を“託した”といった感じのことがあったようです。
歴史のドラマは、必ずその配役を整えて展開していくものですね。(^^;)
では、当時“託された”おひとりである野田幸子さんの記事「オーラソーマをふりかえって」から、その辺りに関係する部分をご紹介しましょう。
       —————————————————————— この「オーラソーマをふりかえって」というタイトルを授かって、今までをふりかってみますと、思いだせないこともたくさんあり書きつくせないほど、実にさまざまなことがあったなぁとしみじみ思いました。 それほど歳を重ねてきたのだということでしょうか。
はじまりは1995 年のこと、『Kindered Spirit』という1冊の雑誌をたよりに、私は無謀にもひとりでデヴ・オーラを訪ねました。
なにも考えずに、そして、なにも分からずに。
当時の私は、自分が持つ肌や目の色によって、どのような色合いが似合うのかを探す「カラーコーディネート」を仕事にしていました。 そこで、色の持つ力に魅了され、私の色への探求がはじまったのでしょう。 そのときは、自分に似合う色を見つけたときに、人が輝くのを見るのがなによりも楽しく思えました。
初めてデヴ・オーラを訪ねたときに、いきなりレベル1コースに参加することになり、そのとき教えてくれた先生が、フィリパ・メリベールという、背が高いイギリス人らしい女性でした。 彼女は、3人の子どもを抱えるシングルマザーで、日本のオーラソーマトレーニングの基礎を作ってくれた人です。
その後、間もなく日本にオーラソーマを紹介するにいたりましたが、私自身がオーラソーマのことをまったく分かっていなかったに等しかったのですが、それでも最初に集まってくれた方たちは、オーラソーマになにかを感じてくれたようでした。
日本でレベル1を初めて開催したのが1995 年の夏のことです。 それから、数年後にマイクとクローディアが来日し、日本にベースを作るために5人のメンバーにオーラソーマを託しました
そのメンバーとは、江谷信壽さん、アマリン青山さん、武藤悦子さん、泉智子さんと私の5人です。 今から考えると、実にユニークな面々が集ったものだと思います
5人がまとまることはありませんでしたが、それぞれが自分のやり方で工夫して進んでいった気がします。 そのときは、みなさんは寝ても覚めてもオーラソーマのことを考えていたのではないでしょうか。 困難もありましたが、とても楽しかった思い出です。
そして、日本への導入後の10年間、いっさい後ろをふりむかずに進んでいきました。
当初は、ニューエイジといわれるスピリチュアルブームが日本にも起きていましたが、そのなかでもオーラソーマは人気で、ボトルの色に魅せられる方は数多くいました。
私がまず目標にしたことは、東京のファッションの中心地にオーラソーマの専門店を開くことでした。 色は誰にでも与えられた普遍的なギフトであり、もし、この世に色がなかったとしたら、なんて無味乾燥な生活になってしまうだろう…だとしたら、色の効果や魅力をもっと知り、より豊かな生活に導けるよう、人々にお伝えしていきたいと切に願いました。
そう願っておりましたところ、急に原宿表参道にあるビルのオーナーが、ご自分がお使いになる予定だった場所を店舗として貸してくださるというお話が舞い込んできたのです。
急なお話だったのにもかかわらず、壁だったところを出入口のドアに改装してくださったり、すべてがオーラソーマのお店を開くべく話が仕組まれているかと思えたほどです。
そこが日本初のオーラソーマ専門店としてはじめた「i-making」でした
オープンは2001 年11月11日のことです。 その日は、偶然にも亡き父の誕生日でした。 そして、オーラソーマがとても好きで情熱を持ったスタッフたちに支えられ、毎日が楽しく過ぎていきました。
          『リビング・エナジー』Vol.8(p16)

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なるほど。
日本でのオーラソーマの普及を“託された”方々は、活動手法や興味・関心の分野がそれぞれ違っていたようですね。
でも結果の事実としては、オーラソーマはこれほど日本で普及したんですね。
きっと、オーラソーマに伝わる“ユダヤの智慧”は、地下水脈として日本人の血のなかにとても親密な何かとして伝わっていたからかもしれませんね。
pari 記

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