瞑想の道 その1

OSHOの瞑想に関する講話に、“The Path of Meditation”「瞑想の道」という本があります。今は絶版になっていて手に入りにくくなっていますが、彼が人々に教えはじめたころ、マババレシュワールという場所で三日間の瞑想キャンプを行ったときの講話と質疑応答です。
この本のなかでは、瞑想をするにあたっての基本的な事柄が丁寧に、そして弟子に対して親密な口調で語られています。しかも、ここでOSHOが語っていることは彼自身がたどってきた道であり、単なる理論ではなく、彼自身の体験に基づいた道なのだといいます。
今回は、このOSHOの語る「瞑想の道」を簡単に紹介したいと思います。
彼がこの本のなかで語っていることをひとことに要約すると「生は純粋であれ、意識は空であれ」という言葉に集約されます。生を浄化して純粋であるということが、意識が空となるための土台になり、意識が空になることによって、サマーディ(三昧、瞑想が深まった境地)、光明が得られるというのです。
彼はこの集いで次のように語りはじめます。
「はじめに、あなた方を歓迎したい。それはあなた方が神性への渇望を抱き、真理への渇望を抱いているからだ。 真理への渇望を感じたことがある人は幸運だ。無数の人が生まれるなかで、真理への渇望を覚える人はほんのわずかしかいない。 真理を知ることは、大いなる祝福だ。だが、それに対する渇望を抱くことも、同じくらい大いなる祝福なのだ。たとえそれが成就しなくてもかまわない。だが、その渇望がまったくないとしたら、実に不幸なことだ。 わたしは、真理を知ることが重要なのではないと言いたい。重要なのは、あなたがそれを渇望していること、その体験に向けて全力を尽くしていること、この目的のために、できることはなんでもしようと決意していることだ」
この言葉は、私の心の琴線に触れます。まさにこの渇望によってOSHOに会いに行ったからです。OSHOはここで「決意すること」がとても大切だと語っています。                             瞑想の心構えとして、最初に大切なことは、この真理への渇きと決意をすること。そして、最後の一歩を満足と成果のあるものにしたければ、はじめの一歩を楽天的に踏みだすことで、その可能性が高くなるといいます。そして、独りあること。無駄なおしゃべりをしないこと。 最後は、すべてに感謝すること。受け取るものに感謝の念を感じ、受け取らないものに煩わされないこと。これらのことを瞑想キャンプに参加する際の心構えとしています。 このようにして瞑想を行う人たちは一歩一歩の探求の歩みを続けていくことになるのです。
OSHOは、これらの瞑想の内的な心構えに加えて、究極の意識や、神性、内なる実存に到達するには、ふたつのことが必要だと言います。 ひとつは瞑想の土台となる瞑想の周辺、つまり外側の条件で、「生が純粋であること」です。もうひとつは、「意識が空であること」。それは瞑想のエッセンスを意味します。
瞑想の外側の条件、つまり「生が純粋である」ためには三つの段階、「身体の浄化」「思考の浄化」「感情の浄化」があります。
次回は、この三つの段階について述べていきましょう。
尚 記
       
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