瞑想の道 その2
瞑想の外側の条件、つまり「生が純粋である」ためには三つの段階、「身体の浄化」「思考の浄化」「感情の浄化」があります。
「身体の浄化」とは、身体のシステムに障害やブロック、しこりがないことをいいます。 身体の不調を一掃すること。身体が健全であることです。そのためにはエネルギー(感情のエネルギーも含めて)を創造的に変容させることが必要です。身体を完全に浄化するには、生を創造的に生きることが必要です。適切な食事、運動、休息、睡眠などが大切です。
次に「思考の浄化」は、真善美の境地に焦点を当てることをいいます。 マインドが不純な思考に乱されているなら、マインドは不純であり、光明は得られないとOSHOは言います。お釈迦様が最初の説法で説いたとされる、涅槃に至る修行の基本となる八正道に似ていますね。
ここでOSHOがいう不純か純粋の区別は、不純な思考とはあなたを外へ連れだし、純粋な思考はあなたを内側に連れていくものだといいます。意識がフォーカスするものが実現しますから、真善美を考えるものは人生にそれらを引き寄せることになるともいえます。
純粋な思考を達成させるためには、思考を観察することです。常に内側で起こっていることに気づき、不要なものはなんであれ、排斥することになります。
そして、思考の浄化を助ける次の要素は、真善美を象徴する炎にさらに近づき、そのそばに身をおくこと。そのような考え、そのような人々、そのような思考の波に近づくことです。自然とともにいるということもそれに含まれます。なぜなら自然は純粋だからです。
そのような自然に接する機会が少なくなっている現代社会では、その機会も少なくなってきますね。真善美に関する本を読むことなどもこれに含まれるでしょう。それを体現した人がいれば、その人に会いにいくことですね。それは、私にとってはOSHOに会いに行くことでした。
最後に、生の浄化における三つ目の段階は「感情の浄化」です。感情は身体や思考よりも深いレベルにあり、感情の世界で変容が起こらないかぎり、単なる思考や内省の時間などでは生の変革をもたらすことはできないとOSHOはいいます。
そこで感情が純粋になりうるための四つの側面があります。第一は友愛、第二は慈悲、第三は喜びに満ちていること、第四は感謝。これらの四つの要素を人生のなかにもたらすことで、感情の浄化ができるということです。
これら四つに対立する感情、友愛の反対の憎しみや敵意。慈悲の反対の冷酷さや暴力、不親切。喜びの反対の悲しみ、惨めさ、苦悩、不安。そして感謝の反対の恩知らずの感情が、不純な状態の感情だということになります。
この不純な感情と純粋な感情の区別は、OSHOによると、不純な感情は外側から影響されることによって引き起こされるのに対し、純粋な感情はあなたの内側からやってくるものをいいます。ユニティインスティチュートの「本質を生きる」で学ぶ、自分の内なる本質につながること、というのは、この純粋な感情とつながることになります。
例えば、愛についていうと、OSHOのいう愛は光のランプのようなもので、誰もいなくても、光が空間を照らしつづけるように、誰かが通るとその人を照らすような愛です。しかし、情念や欲望は、このような内側に源を持つ光とは違い、こうしたエネルギーは、誰かに触発され、その人に向かって動いていくものだと定義できるので、純粋な感情ではなくなります。
これらの「生の浄化」ができたところで、次に、瞑想の真の本質、瞑想の中心へ向かう「意識の空」のための三つの段階があります。それは「身体の空」「思考の空」「感情の空(感情からの自由)」に分けられます。これらの「生の浄化」と「意識の空」の段階が完結すると、瞑想の成果であるサマーディが起こるとOSHOは語ります。
意識の空のための三つの段階、最初の「身体の空」とは、身体との同一化が崩れ、自分が身体ではないと気づくことです。例えば、歩いているときや、身体に痛みがあるとき、足が傷ついたときにも、気づきを持って内側を見ます。傷ついたのは誰だろうか? 傷ついたのはあなただろうか? それとも傷ついたのは身体で、あなたは痛みに同一化しているだろうか? それとも痛みの観照者としてあるのだろうか? ・・・そのことに気づくことです。 身体を正しく観察するということによって、身体はあなた自身ではないと気づいていることが大切です。それに気づくことによって、身体はただの空となります。
第二は思考から自由になること、「思考の空」についてです。思考からの自由、空は自分の思考の正しい観察を通して起ります。意識を通って流れる思考の流れの傍観者になることです。川辺に座って、飛び立つ鳥や川の流れを観ている人のように、思考という飛ぶ鳥、思考の流れを、ただ座って見守ります。この観察のなかで、思考と自分とは別であることに気づき、それを体験します。完全な気づきを持って内側を見つめると、思考が止まり、行為者と観察者が別だということがわかります。
第三に、感情の浄化のためには憎しみの場所に愛を、敵意の代わりに友愛を招くことが必要だと説明しましたが、次にその「感情の空」のためには、感情の真実に気づくことをします。例えば、愛している人と憎んでいる人の背後に、ただの気づきというひとつの次元があることに気づきます。愛することも憎むこともない真実の世界、それが観照です。真実は、愛や憎しみの背後に存在します。それは身体や思考や感情、それらすべての背後にあるあなたの意識です。それは身体でも、思考でも、感情でもない、見守る人、観照する意識、魂です。ここでは正しい想起が鍵となります。
あとは、一歩一歩、実践しながら歩んでいくことだとOSHOは話しています。
「鎌倉瞑想お茶会」のご案内
鎌倉にある和尚アートユニティで、月に一度「鎌倉瞑想お茶会」を催しています。 瞑想のひとときを楽しめるような会にしていければと思っています。
今まで和尚アートユニティでは、オーラソーマやユニティインスティチュートのプログラムを提供し、OSHOの瞑想のアートを紹介してきました。そこで紹介して いるさまざまなプログラムから、瞑想のエッセンスを楽しんでいただければと思います。
「喫茶去」 という公案が禅にありますが、瞑想とともに、ちょっとお茶でも一服どうぞ。 それが「鎌倉瞑想お茶会」です。
———————————— 鎌倉瞑想お茶会 日程 2012年12月26日(水)
時間 19:00~20:30 ※時間は多少前後する場合がありますが、ご了承くださいませ。 会場 鎌倉 和尚アートユニティ 費用 1,000円(当日会場にてお願いいたします) ☆ご予約のうえお越しください。 https://aura-soma.jp/schedule/booking.cgi?code=121226MD_Evt
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