アイデンティティの死滅

アイデンティティの死滅  
「ハートからのカウンセリング・トレーニング」から                     ラハシャ・フリッチョフ・クラフト博士
        そのことを日常的に意識していようといまいと、人生は苦しみに満ちたものだと思います。
お釈迦さまはそのことを驚くほど端的に、「人生は苦」だと断言されました。
でも、これは人間が直視するにはあまりにも辛い事実であるために、われわれ常人は通常あまりそのことに目を向けようとはしません。
そして誰もがつねに幸福を見ようとし、幸福であろうと努力しているわけです。
しかし本当に幸福な者が、幸福になろうと努力するでしょうか。
もちろん、不幸だからこそ、幸福であろうと藻掻いているはずです。
ただ、本当に不幸なのか、その不幸にはちゃんとした根拠、実体があるのかとなると、そこのところは、ちょっとはっきりしない側面もあるようです。(^^;)
でも、つねに幸福であろうとするその心の持ち方が習慣になって、人間は人生の苦しみの根拠に目を向けようなどとは普通しないものです。
そして、現象の世界の中で、手に入りそうな幸福の形を求めて、必死にあがき続けるわけです。
覚者たちはつねに、外側の世界には真の幸福はありえない、と言い続けています。
それはすべて束の間の“現れ”、一瞬の“見かけ”にすぎない。
「神の王国」は、あなたの内側に在るのだ、と。
でも、現れの世界の中で幸福を求めて、アップアップしているわれわれ常人には、こういう覚者がたの言葉というのは聞こえてこないし、意味もわからないものです。
そして一瞬一瞬の“現れ”のなかで、幸福の形を追い求めるわけですよね。
ところが、今回ご紹介する部分の中でラハシャ博士は、自分の内面に入って、その中核に在る“虚空から逃れようと”しなければ、あなたはじつは自分が別次元に存在することに気づくのだ、とおっしゃっているようです。
ではラハシャ博士の「ハートからのカウンセリング・トレーニング」のなかのその辺に関する部分をご紹介しましょう。
         ——————————————————————– ●● 源、センター
あなたが虚空から逃れようとせず、またそれをなにかで埋めようとしないでいると─実際、あなたのマインドはそうすることに魅せられるのですが─あなたは別の次元に臨在していることに気づくでしょう。 あまりにそれは自然でドラマチックに感じられないので、マインドはこの次元をとても簡単に見逃してしまいます。
私が今までワークしてきた人々の言葉で、この次元を説明すると「とても安らかな感じがする」、「すべては光だ」、「私はただここにいる」、「鳥の声が鮮明に聞こえる」、「緊張がすべてなくなった」、「ありがたさを感じる」、「愛があふれている」……などに表現されます。
これは、再発見されたあなたの家であり、あなたの真の本性なのです。 そこは、あなたが生まれた故郷である一なる状態です。 あなたが一生かけて探してきたものであり、それはあなたに発見されることを待ち続けて、いつもここにありました。 奇妙なことに、あなたが人生の大半をかけて避けようとしてきたもののまさに中心にそれを再発見するのです!(中略)
 なぜ中心にとどまることが、そんなにたいへんなのでしょうか?
どうして、あなたはとどまらなければならないのでしょうか?  ここに大きな誤解があります。 あなたはすでに中心に、意識そのものの中にいるのです。 この「なぜ」という質問を通して、自己の神聖な本質を発見する準備はあなたにできていますか?  もし、あなたにその準備ができているなら、それはなんと驚くべきことでしょう。 あなたはいつもここにいるのです。
これがあなたの真の姿です。 あなたが中心です。 あなたであるところのものが一切を包括しています。 そのひとつでも否定しようとすることが分離です。 中心はその周辺にあるものすべてを包括しているのです。
  なぜ私たちは“虚空”をこんなに恐れるのですか?
虚空は、あなたのアイデンティティの死滅です。 あなたが心身の層のどこかで、同一化しているかぎり、それは偽のアイデンティティです。 虚空に入ることでその手のアイデンティティは消えてしまいます。 あなたが死を恐れるのはそのためです虚空の向こうに突き抜ければ、あなたは生まれ変わります。 ラマナ・マハリシがしたように、死の中へと手放せばわかるでしょう。
ラマナ・マハリシは、インドの美しい賢者でした。 彼は「私は誰か?」と自分自身に問いかける、この単一の技法を編み出しました。 十七歳のとき、彼は死の恐怖に圧倒されました。 ただちに、死はいついかなるときにも起こりうるものだと理解したのです。 「五十年のうちに起こるかもしれないし、もしかしたらそれより早いかもしれない、それならそれを体験してみよう」
彼は、床の上に横たわり「オーケー、じゃあ死んでみよう」とつぶやきました。 そして、彼はできるかぎりの体験をしました。 彼は肉体を離れ、死に、自分の肉体が火葬場の薪まで運ばれることを想像しました。 続いて、彼は身体が焼かれて灰になるところを想像しました。 すると驚いたことに、彼はまだそこに存在していたのです。 彼は自分自身が、それらすべての背後にある意識であることを理解して大笑いしました。 意識は、いつもそこにあったのです。
とはいえ、死の恐怖に直面し、正体を明かしていく必要があります。 私がすばらしいモデルを提示して見せることはできますが、そんなものは役に立たないと思いませんか?  私の教えは本棚のきれいな本にはなりえますが、そこに置いておくだけでは役に立ちません。 どうか、それを自分で使って実験してみてください。

                 『リビング・エナジー』Vol.6(p38-39) ——————————————————————–
なるほど。
死とは単に、「アイデンティティの死滅」のことなのですね。
「あなたが人生の大半をかけて避けようとしてきたもののまさに中心にそれを再発見する」……。
しかし、それは人から聞いた話だけでは仕方がない。
自ら出向いて「死の恐怖に直面し、正体を明かしていく必要が」ある わけか……。
pari 記

Twitterボタン Twitterブログパーツ