物質世界とはエネルギーフィールド  ドミニク

物質世界とはエネルギーフィールド  ドミニク・ヨーマン
        サイトで使用されていた「オーラソーマ・ボトルは“生きているエネルギー”です」という言葉のために、当初オーラソーマ製品は広告不可だった、ということを以前このブログでお話したことがありました。
最初はその理由が、長くわからなかったのです。
でも、ある機会に問い合わせて、広告不可の理由が“薬事法関連”だということだけはわかったということがありました。
今から思えば、ずいぶん昔のことにも思えます。
そして実際、長い間にどのへんに問題があったのかがだんだんわかってきたのです。
そうこうするうちにも、オーラソーマ関連の広告はどんどんインターネットの世界に露出してきていたのですが。
もちろん、今でも“薬事法関連”で誇大宣伝と受け取られかねない言葉は使用できませんが、それでも「オーラソーマ」という商品分野自体が社会的に認知されたと思います。
これだけの人々に支持されてきた「オーラソーマ」という商品が、単なる一過性の商品でないことだけは社会が受け入れてくれたわけです。
そして、この「aura-soma」という言葉に表されているものが、じつは最先端の科学者たちの世界ではとおの昔に認知されていたのです。
つまり「aura」(光の身体)と「soma」(物理身体)とは、じつはともにエネルギーフィールドであり、両者の違いはその領域の違いに過ぎなかったようなのです。
社会常識はそういう科学者たちの知見を後追いして、ほんとにゆっくりゆっくり変化していくものなんですね。
物理世界そのものが、古典物理学で想像されていたような「個体」からなる世界ではありませんでした。
従来「個体」と想像されてきたものは、詳細に分解していくとついには空間そのもののなかに消えてしまったのです。
それは、変転極まりないエネルギーのつかの間の姿にほかなりませんでした。
われわれの世界像はずいぶん変化してしまいました。
今回は、ドミニク・ヨーマン氏の記事「オーラソーマ 光と身体」から、そのあたりに触れた部分をご紹介しましょう。
         ——————————————————————– オーラソーマ 光と身体から抜粋
ここではオーラソーマのカラーシステムからの洞察とともに、光とボディーの関係を探ってみましょう。
まさにオーラソーマ(Aura-Soma)という名前が、このシステムがこの主題と親密にかかわっていることを示します。 この名前は最初のボトルが誕生した後、すぐインスピレーションで受け取られたものです。 「オーラ」とは「放射」、あるいは「エネルギーフィールド」を意味します。 この領域は光と色によって知覚されます。 「ソーマ」はたとえば精神身体医学においては「身体」を意味します。 オーラソーマという名前は、このシステムの意図とそれが与えることのできる可能性を表しています。 その可能性とは、エナジーフィールドと光と体のつながりです。 オーラ(Aura)とソーマ(Soma)が(英語表記では)ハイフンによってつながれています。 光のフィールドと体が分かれているものではなく、実際はより深い根底にある一つの調和の二つの側面であり、とぎれのない一つのエネルギーの一部であるからです。
この考えは科学の世界においてはもはや異質のものではなく、現実の中で、科学研究の先端で働く量子物理学者によって生み出されたものです。 今世紀の初頭から、彼らの発見は科学の理解における発展を見ることによって、生命をつくる最も小さな個は、まったくのところ固体ではなく、エネルギーの力であるという気づきを導いてきました。 私たちが、自分自身を、そして私たちを取り巻く宇宙をどのように見るかに最も深い関係を持った研究です。 体もその一部である物質世界というのは、固体ではなく、普遍のものでもなく、ただエネルギーフィールドでつくられたものです。 その領域では、エネルギーの力は不規則にONになったりOFFになったりするようで、それが最も小さな微粒子が現れたり、消えたりする原因となるのです。 物質世界のすべて、それは我々の肉体を含む、構造と固体を持つものすべてが、可能性として存在の中で瞬間に現れたり、消えたりしていると考えるのは、私たちの現実のレベルでは理解するのがほとんど不可能です。 最も深いレベルの現実において、科学は光と身体の関連性を発見しています。

                 『リビング・エナジー』Vol.4(p77) ——————————————————————–
なるほど……。
物質世界を追求した科学者たちの側から、「物質世界」が「ただエネルギーフィールドでつくられたもの」という結論が得られたとは。(-_-)
もっとも、物理世界に最もこだわった科学者の側から提示された結論だからこそ、社会一般が受け入れざるをえなくなったとも言えます。
ものごとは、そんなふうになっているのかもしれませんね。
pari 記
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