エデンの園へと戻ろう

エデンの園へと戻ろう

「サミュエル102」から  マイク・ブース

       

あなたは自分が間違える可能性があると信じていますか?

それともそんな間違える可能性があるような自分なんて、ほんとうは存在しないんじゃないか、と考える方ですか? (*^_^*)

もちろん、どちらでもいいんです。^^;

今の世の中、ほんとうにいろいろな考え方が溢れています。

この惑星上で培われてきた霊的伝統がひとつの締めくくりのときを迎えて、すべて地上に姿を現し、いま勢揃いしているのかもしれません。

これほどたくさんのレパートリーがあるとなると、同じスピリチュアル分野の観念にしても、実際の内容はかなり違っているはずです。

だいたいは誰でも自分がいちばん馴染める考え方、親近感を覚える観念、しかもそれが洗練され強化されたようなバージョンに近づいていくんでしょうね。

たとえば、文化伝統によっては「神」という観念のないスピリチュアリティはなんのことかピンとこない方もいる一方で、もう一方には「神」という観念にはどうにも馴染めないという方もいることでしょう。

どれもこれも、ひとつの宇宙がそれを演じているのかもしれませんね。^^;

唯物論というのをご存知ですか?

これは現象世界で起こっていることは根本的には単なる物質過程であって、私たちが精神現象と考えているものは、その物質過程の上に乗っかって起こる“あぶく”のような寄生現象にすぎない、というような考え方です。

かと思えば、その反対に唯心論というのもあります。

それは簡単に言えば、実在しているのは意識のみ、唯一純粋な気づきだけであって、現象世界はその上に夢のように浮かんでいるだけだ、というような考え方です。

両方とも、ずいぶん極端な話にも聞こえますよね。(*^_^*)

こういう極端な話を聞くと、たいていの精神世界というのは、この両極端の間のどこかに位置するんだろうなぁ、と思えてきます。

地球という惑星は、こういう両極端を含むスピリチュアルなさまざまな観念を許容し、育んできてくれたのでしょう。

そして、いま収穫のときになって、自分が育成してきた地上の人間たちがそれぞれ自分の好みのスピリチュアルな観念に掴まるのを待っているのではないでしょうか。

そして今地上には、あらゆる霊的伝統が総出になって縁のある霊たちを救いへ導こうと活躍してくれているのかもしれません。

おそらく地球は、私たち人間が、自ら苦しむような観念を掴むことを願ってはいないだろうと思います。

すべての観念はただの思いこみで、最後には手放すためにあるのかもしれませんから。

自分に帰る・・・。

マイク・ブース氏は「瞑想の道へ、内側の意識を広げる道へ」と入っていくことを薦めています。

       

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サミエルが、この段階でのタワー「塔」についての経験を明らかにしているのなら、3番目の段階は何を意味しているのでしょうか?


ヴァイオレット/ヴァイオレットを超えて、ペールグリーンのなかで高次の意志と小さな意志が一緒になった地点を超えて、オリーブが伝えているのは、今私たちは、もっとも深い瞑想的な経験へ至るチャンスを手にしているということです。

 

http://artbeing.com/aura-soma/equi/B102.html


O-live、生全体を経験する地点で、私たちは自分の役割を、人類という大きな家族とつなげて見つめてみましょう。


私たちは人類から隔てられていません。
この意識の大海に属しています。


その意識の大海をどう対処するかは、実際私たちにかかっています。


あなたは何に貢献していますか?


平和、優しさ、温もり、愛というエネルギー、あるいは何か他のものに貢献しているのでしょうか?


サミエルは、私たちが何に対して貢献しているかを絶えず想い起こさせてくれるでしょう。


そして私たちは内側にある暴力を否定するのではなく、むしろそれを対処する方法を見出さなければなりません。


この時点で、すべての予言が実現される可能性があると思います。
ですからみなさんも私と同じようにそれに気づいていてください。


それは地球規模での大変動、津波、竜巻、ハリケーンといったものがすべて起こる可能性があるということです。


そうです、起こりえます。


地球は、もはやこの惑星上での無意識に耐えられずに、自らの変容のプロセスに向かおうとしています。


そして私たちはそれを後押しする可能性もあります。


私たちがより意識的にならなければ、彼女は、彼女の果たすべき手段で、地球を清め浄化するでしょう。


私たちに課せられた責任とは、自分自身の内側でさらに意識的になるということです。
地球は、私たちが行なっていることを即座に判断します。


ミカエルが私たちに示した二つの道筋のコミュニケーションは、サミエルにおいて強調されています。
そして、世界のなかに瞑想への希望が広がることが伝えられています


私たちはヨフィエルを通してふたたび、エデンの園へと戻れます。


その意味は、私たちが、ジャングルを超えて、ハートへ、自らの内側にあるエデンの園への道を見つけることです。


タワー「塔」のイメージは、落ちていくジャングルです。


私たちが人間として到達した地点はすべて間違っているけれど、エデンの園へと戻る可能性はあります。
あらゆることが、意識への可能性として、私たちのためにここに存在しています。


あらゆることが、礎として与えられています。
そしてそれを通して私たちは意識を広げることができます。


この機会をできるかぎり最善の方法で利用しますか?
それとも、意識の革命の可能性とは無関係の他のことに時間を浪費しますか?


私たちには、人間としての形体での機会が与えられていて、人間の条件付けへ入っていこうとしていますが、それは、この時点でとても大切なことでしょう。
 

このすばらしい機会に、エデンの園へと戻ろうとしてみましょう。
瞑想の道へ、内側の意識を広げる道へと入っていきましょう。

 

それには、否定的姿勢をとらないでください。


自分が内側へ向かわない場合、どうなるかを明晰に認識しましょう。


恐怖のパターン、「ではもし君がこれを行なわなければ、それは自ずと起こるだろう」というパターンを構築することではありません。
ただ、ものごとを在るがままの姿で見てみましょう。


この適切な時点において地球が私たちに語ってくれていることについて、あるがままの感覚を、私は感じています。
意識が進化しなければ、人類が覚醒に向かうよりむしろ、このまま絶えず物質的な奪い合いに取りつかれているなら、惑星地球への結果は、私たちには好ましくないものとなるでしょう。


目覚めへの警鐘が鳴り、タワー「塔」は揺さぶられてしまったからです。
私たちは、自分の行なうべきことに気づく必要があります。

                
『リビング・エナジー』Vol.5(p108-109)
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【私たちが人間として到達した地点はすべて間違っているけれど、エデンの園
へと戻る可能性はあります】

【あらゆることが、意識への可能性として、私たちのためにここに存在してい
ます】

マイク・ブース氏はそんなふうに考えているようです。

pari 記

 

 



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