違う存在の視点から、世界を見せてもらう

違う存在の視点から、世界を見せてもらう

          「自己へ帰るたび」から   川島理果

       
       
人生の問題というのは結局“関係性の問題”なのだ、という言葉を聞いたことがありますか?

はじめてこの言葉を聞いたのはだいぶ昔のことだったのですが、じつはそのときはこの言葉が何を意味するのかよくわかりませんでした。

でも、ときどきふっと思いだしたようにこの言葉が蘇ってくることがあって、そのときどきで、なんとなく「ハハーン」という感じがしないこともなかったのです。

そして気がついてみると、いつの間にか、人生の問題というのは結局“関係性の問題”なのだということは、あまりにも自明のこととして感じられるようになっていました。

人間とはなんの問題もないところに、いろいろ問題を想像して“人生ゲーム”を楽しんでいるのかもしれないと、感じられるようになってしまったのでしょう。

もっとも、当人が人生を楽しんでいるかどうかはまた別ですが。

もしかしたら、実際は誰もがとても苦しんでいるかもしれませんね。

ところで、私たちが苦しむのは、すべて自分の問題だとは思いませんか?

誰もが、他人の人生の苦しみを、その人と同じように苦しんだりするでしょうか?

もしかしたら、そういうことが起こる人もいるのかもしれませんけど。

今思いだしましたが、インドの聖者ラーマクリシュナがボートに乗って河を進んでいたとき、遠い対岸で鞭打たれている人を見たことがあるそうです。

その船に同乗していた彼の弟子は、遠い対岸のその男の背中に現れるミミズ腫れのムチの痕とまったく同じ痕が、その瞬間、師のラーマクリシュナの背中にも現れるのを見たそうです。

そんなことが起こる人もいるんですねぇ。

妙観察智の聖者ラーマクリシュナにとっては、遠い対岸で鞭打たれている男と自分の間に、なんの違いもなかったのでしょうね。

でも、ご存知のように、もちろんそういう方は例外ですし、こういう方にとってはすでに通常の人生は存在していません。

普通この人生ゲームでは、私たちは自分が気にする範囲のことしか問題にしません。

言い換えると、私たちにとっては、自分が気にする範囲だけが問題になりうるということです。

人にはそれぞれ自分の範囲というのがあって、その範囲のなかで起こる、いろいろな状況のなかで私たちは人生を生きているようです。

そしてそこで生じるさまざまな思い違いや誤解に遭遇して、いろいろな問題を想像することになるのでしょうね。

今回、川島理果さんの「自己へ帰るたび」から、私たちが人生のなかで多様性のひとつの表現としての自分を生きながら、またその多様性ゆえに苦しみ、気づき、そして成長していく姿をご紹介しましょう。

       

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色が微妙な色合いを見せるように、人もひとり、ひとりがユニークな存在です。
さまざまな色合いがあるからこそ、世界は美しく人もまたそれぞれが違う存在であるからこそ、美しいのでしょう。
そして、自分と違う存在がいてくれるからこそ、その違いから自分自身を理解していくことができるのではないでしょうか。
セラピーはまさにそういうものだと想うのです。

 


ハートをオープンにしてその瞬間に向き合うとき、それは相互の関係であることに気が付きます。
自分では決して選ばない色をリーディングするとき、自分の内側に新しい何かが生まれる瞬間があります。
自分とは違う色への想いや感性に触れるとき、自分が 360度方向に広がっていく感覚を幼い子どものような無邪気さや純粋な感性で素直に喜べるとき、それは自分のエネルギーとなり、大きなギフトとなってくれるのでしょう。


セラピーは自分と違う存在の視点から、世界を見せてもらうことであり、多くの人生を分かち合うこと、それはまさに宇宙の成り立ちについて学ぶということではないでしょうか

人生の瞬間、瞬間が学びであることに気づくと、学ぶということは自分が育っていく充実感を伴う喜びの過程であることにも気づきます。
教えられることによってのみ、人は学ぶのではなく、教えることによってもまた、人は学ぶのではないでしょうか。


人に教えることは、自分のなかにあるものを明確にとらえ直し、洗練させてくれす。
自分が携えているものを360度方向へと伝え、分かち合っていけるものへと成長させていく、その過程を教えられる側の存在が支えていてくれるのです。


ハートをオープンにして、その瞬間に向き合うとき、学びはいつも相互のものです。
それを忘れ、その関係に権威を持ち込もうとするとお互いに優位でなければならないという気持ちにエネルギーを注ぎ、理論で相手を説き伏せようとしてしまいます。


ハートから離れるとき、相手をありのまま受け止められずに判断してしまいます。
判断しているとき、人は過去の自分の限られた情報の中で分析し、答えを得ようとしてしまい、その情報を超えたものに対しては誤った受け止め方をしてしまいます。


自分の言うことが正しいと認められないことは、自分のスペースが脅かされることと感じるとき、人は自分のいる位置にしがみつきたくなってしまうのでしょう

        
『リビング・エナジー』Vol.2(p101)                 
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誰もが多様性のひとつの表現として、異なる状況を生きているのですね。

そもそも良い人も悪い人もいないのかもしれませんね。

ただ、そのような人生の登場人物としての役割があるだけで・・・。

pari 記

 



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