判断というのは結局……
今のこの時代、さまざまな霊的伝統からたくさんの智慧が蘇り、光を当てられ、それぞれ縁のある方々を呼び集めているようです。
もちろん「オーラソーマ」もそのひとつでしょう。
「オーラソーマ」はカバラの伝統を引き継いでいるので、その周辺の多くの異なる智慧の伝統と関連しているようです。
その意味では、「オーラソーマ」は品揃えの間口の広い“百貨店”的な位置にある智慧かもしれません。
中でも密接に関係している智慧の伝統に「ヌメノロジー(数秘学)」があるようです。
これなどは、あまりにも「オーラソーマ」と密接に絡み合っていて、それだけを切り離すことはできないとも言えます。
マンガラは、天性の(転生の? (^^;))ヌメノロジストです。
就活の過程で二種類の“スキル”を持っている必要があると言われ、手持ちの「タロット」以外のサブスキルを探していて「ヌメノロジー」に出会い、そちらのほうがメインスキルになってしまったという方です。
まるで、自分の世界に戻ってきたみたいな感じだったそうです。
こういうある意味の“パターン学”は、そういう知識が好きな方には堪えられない楽しみだったでしょうね。
セミナー参加者の方たちもコースの途中から家族や恋人の数を計算し始めるそうです。
マンガラは「ヌメノロジー」の観点で人を観察する習慣を身につけると、「判断を手放すことが可能になる」と言います。
それは、どうしてなんでしょうね? (?_?)
このインタビューをご紹介したいと思ったのは、この紹介部分にある“言葉のつながり”を見つけたからです。
その言葉自体が、ひとつのメッセージだとも言えるものでした。
「判断というのは結局」……、あなたなら、これに続けてどんな言葉を置きたいと思いますか? (*^_^*)
いちど自分なりのメッセージを作ってから、眺めてみると面白いかもしれません。(^^;)
——————————————————————– 編:ヌメロロジーは自分を理解するためのすばらしいツールだということですが、他の人を見るためのツールとしてはどうなのでしょうか。
それは、コースを学ぶ人にとって、必然の成り行きだと言えるでしょう。
チャートを通して人を見るというのは非常に興味深いことなので、コースがまだ終わらないうちから、参加者の人たちは自分の家族や恋人の持っている数を計算し始めます。
そして、個々の部分をつなぎ合わせていくにつれて、どうしてこの人はこういう反応をするのか、どうして人間関係にこういう傾向があるのかということを、ひらめきとともに理解することになるのです。
チャートを見ることで、パートナーや子供や両親や友人がどうしてそんなふるまいをするのか、理解することができる。 それによって、判断を手放すことが可能になります。 というのも、判断というのは結局、あるがままのその人であるべきではないという考えなわけですから。
人のチャートを読むことは、実際に学んでいくための方法でもあります。 私たちはみんな、すべての数から影響を受けているとはいっても、個々の人において、影響される部分や、影響のされ方はさまざまです。 人を巨大なパッチワークの布になぞらえれば、パッチワークを織り成している布は9種類しかなくても、その組み合わせはほとんど無限です。 私は実際に、何年もの歳月にわたって、身近にいる人のチャートを作って、その人の行動を密接に観察し、特定の数が特定の分野でどう機能するのか観察したものです! それによって、自分にはないけれども他人が持っている傾向を、実によく理解できるようになりましたね。
『リビング・エナジー』Vol.5(p87-88) ——————————————————————–
ね、面白かったでしょ。(*^_^*)
「判断というのは結局、あるがままのその人であるべきではないという考え」と、一言で見抜かれてしまうと、ちょっとこの先、人を判断できなくなってしまいますね。(^_-)
pari 記
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