新しいボトルはどのように誕生するか
オーラソーマの新しいボトルが、“新製品企画”などによって企画開発されるのでないことは、オーラソーマも結構知られてきた今では、だいぶ周知の事実になって来ました。
とはいえ、“意図して制作するのではなく、自然に生まれるのだ”という言い方には、頭では理解できても、いまいちイメージが湧かない、ということもありそうです。
しかもそれは“必要に応じて”生まれるのだとも言われるようです。
ということは、おそらく“地球上での状況に応じて、タイミングを見ながら”、どこからか(例えば、上位次元から)そのインスピレーションが、トランスミッションされてくるという言い方ができるのかもしれません。
あるいはまた、全体の環境の醸成によって、宇宙全体の必然のなかから、新しいボトルが誕生してくるのだ、というふうにも言えるのかもしれません。
そうしてみると、これまで私たちは、自分の努力によって自分のまわりの環境が動く、という大きな集合意識のなかで生きてきたと言えるでしょう。
しかし、ここにきてどうやら、“自分の努力”の貢献など非常に微々たるものではないのか、というような気づきが急速に広まりつつあるような気もしますね。
さらには、もしかしたら“自分の努力”の貢献というような想念自体が、じつはひとつの単なる幻想にすぎなかった、というような気づきになっていくのかもしれませんし。
時代は大きく動いているような気もします。
“時代が大きく動く”とは、その世界で前提されている“常識が大きく動く”ということなんでしょうね。
なんだかちょっと脱線気味ですね。(*^_^*)
まあそれはともかく、物事というのは、じつはわれわれの想像よりずっと自然に、あるがままに起こっているだけなのかもしれません。
そしてもしかしたら、そこに努力感がなければないほど、物事はますます自然に自由に流れていくのではないでしょうか。
考えてみたら、生き物のなかで人間だけが、努力をしていたりして。(^_-)
新しいオーラソーマボトルの誕生の話題から、だいぶ話が逸れてしましました。
でも、新しいボトルの誕生に自ら携わっているマイク・ブース氏の話によると、ボトルの誕生は、じつはマイク自身が自然の働きのなかに溶け入ってしまったときに起こるみたいですよ。
ボトルがどんなふうに誕生するのか、マイク自身の言葉で聞いてみましょう。
——————————————————————– 新しいボトルがマイクを通してどのように誕生するかについて
マイク ボトルがどんな風に誕生するかですが 、 初めてヴィッキーからボトルを誕生させるように頼まれた時のことを思い出します。 その時、私の内側は強烈なパニック状態でした。 でもそれは全くどうしたら良いのか分からないからではなかったのですが。
これは44番目のボトルが誕生した時のことです。 良く晴れた日で、ヴィッキーとの毎日の散歩に出ていた時のことでした。 ヴィッキーは木々に祝福を与えていました。 家に戻ると彼女が
「クローディアと一緒に実験室に来て頂戴。 あなた達に次のボトルを誕生させてもらいたいの」
と言いました。
私たちはお互いを見詰め合って、それから瞑想しました。 それまでにもヴィッキーが沢山のボトルを誕生させる場に立ち会いましたが、実際にどのようにして誕生するのか、はっきりとは分かっていませんでした。 その時から現在まで、44番から98番までのボトルの誕生に関わっていますので、今ではそのプロセスにも慣れましたし、それほどパニックにもなりません。 それでもボトル誕生のプロセスを考える時に、いつでも思い出すのは以前私が陶工だった時のことです。
その頃、時々プロダクション・スローイングという方法を使うことがありました。 それはどのようなものかといいますと、例えばカップを1個だけ作るのではなく、何百というカップを一時に作るのです。 大きな注文が来た時に例えば1週間、毎回2~3時間ずつ、ろくろの前に座ってただマグカップだけを作り続けます。 最後には棚という棚にマグカップばかりが並びます。
そのような時には体の動きや呼吸、水の具合、ろくろの上のスポンジの動き、その他全ての動きが、ただ機械的になっていきます。 私はと言えば、起こっていることをただ見ている。 そして粘土の塊を次から次へろくろの中心に乗せ、作業をただ繰返しているのですが、その時何か非常に特異な体験をするのです。
それはあたかも瞬間の魔法とでもいうように、何百と作り続けているマグカップの内の1個が特別な輝きを放つのです。
それはまるでそのカップについては全てが筋書き通りに進んでいくかのように粘土は簡単にろくろの中心に収まり、粘土と指の間に必要な水の量もちょうど良く、雑念も無く、全てが自動的に起こっていきます。
その時私自身は、花が開く時のように全てが自然のプロセスに基づいて、たやすく起こっていることの不思議をただ目撃しているかのようでした。 そして棚の上で乾燥させている間も、そのカップだけが何か輝きのような光を放ち、再びろくろに戻した時も足は自然にろくろを回し、何の苦もなく中心を定めることができるのでした。
そのカップに関する限りは全てが上手くいき、完全に乾燥した時も、他のカップと共に並べた時も、最初の火入れの時も、そのカップは直ぐに見分けがつき、 さらに上薬をかける時もそのカップについては完璧な出来栄えでした。 他の何百というカップと一緒に窯から出した時も、それはすぐに見分けがつきました。 店頭に並べた時もそのカップは私を魅了し、一見同じようにみえる何百というカップの中から最初に売れるのは必ずそのカップだったのです。 それは全ては自ずと起こるというその魔法、その自発性、その不思議が実際に起こったかのようでした。
ボトルが誕生する時にはいつもこのことを思い出します。 物事が自然に起こるに任せて、邪魔をしない。 ヴィッキーは始めのボトルが誕生した時の経験をこのように描写しています。 全てを手が動くに任せて、自分は起こっていることをただ目撃している、そしてただ導かれてボトルを誕生させる。 自分が邪魔をしなければ、そしてただその不思議の中にいれば、その瞬間にのみ魔法は起こり、ボトルが私を通して生まれてきます。
多くの占星術師たちがボトルのバースチャートを作っていますが、驚くべきことに、そのボトルの意味、色、そしてエネルギーと出生時間の惑星や星の位置との間にシンクロニシティが見られるのです。
『リビング・エナジー』Vol.4(p31) ——————————————————————–
なるほど……。
「物事が自然に起こるに任せて、邪魔をしない」、そこに秘密があるんですね。
「そのボトルの意味、色、そしてエネルギーと出生時間の惑星や星の位置との間にシンクロニシティが見られる」とは、まさに不思議そのものですね。
pari 記
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