変化と手放すこと

変化と手放すこと         クローディア・ブース
        変化の絶えない生命世界にはいつも多くの別れがあります。
特に今の日本には、普段にもましてたくさんの別れが起こっているかもしれませんね。
現象世界のなかで生きるということは、既知の世界に対する何らかの執着を抱えながら、しかも絶えざる変化に晒(さら)されることだとも言えそうです。
現象世界かで生きる以上、絶えざる変化を受け入れるしか道はありません。
それは、一方ではつねに新しく誕生する“未知のもの”を受け入れながら、同時にもう一方では“古い既知のもの”との別れも受容していくということです。
その意味では、現象世界で生きてゆくための必須のマナーは、「変化を手放すこと」だと言えるかもしれません。
“未知のもの”をいやいや受け入れるのか、心から歓迎するのか……。
“既知のもの”を不承不承手放すのか、感謝とともに送り出すのか……。
クローディア・ブースの「変化と手放すこと」という文章があったので、ご紹介しましょう。
        ——————————————————————– 変化と手放すこと
たくさんの愛しい人たちが、最近私たちを残して旅立ちました。 「天に」広がる新しい牧草地へと。 ラム・ダスは、私たちの知っているこの生は「小学校」であり、さらなる学校が続くと言っています。
……
この号は、変化と手放すことがテーマなようです。 それは、しばしば不当に見えるものです。 私たちは「でも、この欲求や欲望はどうなるの?」と考えます。
オーラソーマは私たちがしがみついているところがどこなのか、結晶化しているところはどこなのかを、たえず教えてくれます。 結晶化とは、人間に当てはめれば、停滞や死ということになります。 変化と柔軟さが、生の署名なのです。 抵抗のあるところというのはどこであれ、もしも内側を見れば、違うアプローチがあることがわかるところです。
ヴィッキーの言う「レインボー・ウォリアー(虹の戦士)」はみな、風の柔軟さを学んでいるのです。 カルロス・カスタネダの教師であるドンファンも、戦士という観念を使っていますが、私はずっとそれが好きではありませんでした。 ところが、ペティ・タイランツの最新作の内なる炎に関する本の概念に出会って、それがピンと来始めたのです。
風と遊びましょう。 変化の風と愛を込めて遊びながら、キリストが言ったように「幼子のようになろう」ではありませんか。   私たちがみな、オーラソーマを愛しているのは、オーラソーマが本当に、新しい見通しを開き、私たちの展望の絶え間ない変化を見せてくれるからです。
もしかしたらそれは、「空中の楼閣」かもしれませんが、私はマイクが言う「時とは愛するための機会だ」という新しいパラダイム(時代を形づくる理論的枠組み)にすべての人がコミットしているのだ、という考えかたが好きです。
これは「時は金なり」に対抗するパラダイムです。 「世界が自分に対して何をしてくれるか、ではなく、私があなたと世界に何ができるか」問うてみるのです。   だからこそ、私はいつも、生徒を所有物にしない、ということを話すのです。 ケアをするということは、尊敬とコミットメントをもたらすものであり、ケアをする中で、私たちは生徒が物事を異なった目線から見ることによって利益を得、真の価値を得ることがわかるのです。   ですから、本当に無理強いしないということは、真に美しさをもたらす生の多様性へのケアに満ちた尊敬の念と共に、手放すことへと至るのです。   ですから、たぶん、オーラソーマは私たちにすべての生命を尊ぶことによって、自分自身と他者を敬う機会を与えているのだと言えるでしょう。 私にとっては尊ぶこととは内なる強さを持って凛として立つということ、つまり、自分の内なる強さを認めることです。
そしてそのとき、他者を認め、肯定し、受け入れることができるのです。 合掌はこの非常にすばらしい例です。 胸の前で両手を合わせ、おじぎをする。
「私の内にある最高の存在が、あなたの内にある最高の存在におじぎをする」のです。 これは最も神聖な行為――存在するものすべてに神聖さを認めるということです。
地に根づいたハートのスペースが神聖なるものを尊び、敬うことは、光に満ちた喜びの瞬間へと至り、私たちが古い観念を手放し、新しいものへと開くとき、今あるすべてを愛し尊ぶことになるのです。   そんな瞬間を、マイクと私はこの数か月の間にたくさんの人たちと分かち合いました。 マイクと私にとって、このように非常に多くの貴重な時をあなた方すべてと過ごせたことを名誉に、そしてうれしく思います。
  クローディア・ブース  (イギリス版 リヴィングエナジー編集者)

                『リビング・エナジー』Vol.4(p54) ——————————————————————–
なるほど。
> オーラソーマは私たちがしがみついているところがどこなのか、結晶化して > いるところはどこなのかを、たえず教えてくれます。
「しがみつく」ことを「結晶化」と言うんですね。(^^;)
オーラソーマは、その結晶化して流れが滞ったところを、優しく流れ出させてくれるようです。
pari 記
     
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