イクイリブリアムの透明な美しさ

イクイリブリアムの透明な美しさ
「オーラソーマ 光と身体」より(その2)                       ドミニク・ヨーマン
        こういう時代のことですから、多くの方々がはじめてオーラソーマと出会う機会は、インターネットサイト経由ということが多いかもしれませんね。
その場合はサイトでボトルの画像を見かけることになると思います。
ところでいつもネットの画像でボトルを見ていた方がはじめて実物のボトルを見ると、その印象がとても違って驚くことがあります。
自分が好きだと思っていたボトルがそれほどに感じられなくて、これまでまったく意識していなかったボトルにふと惹かれたりするのです。
じつは、ボトルの画像はとてもよくできていても、本物と少し質感が違うのです。
何本かのボトルを重ねて撮った雰囲気的な画像はまだいいのですが、一本のボトルを正面から撮る場合は、なかなか実物の質感を表せません。
はじめて実物に触れて感じる印象の違いは、画像の印象との違いによるものです。
何が違うんでしょう。
そうです、ネットの画像では、ボトルの【透明感】の表現が難しいんです。
そして透明な色水を見るという体験は、日常生活ではほとんどありません。
学校ではじめて水彩画を習うときも、水彩絵の具は水のなかで溶けば水はすぐ不透明な色水になりますから。
イクイリブリアムボトルをはじめて見たときの、あのちょっと不思議な感じはそのためでしょうね。
オーラソーマのボトルでは、光が透過して物体のなかが光るのを見ることができるんです。
そして、そういう経験は日常生活ではほとんどないので一種不思議な印象を受けるのだと思います。
ではドミニク・ヨーマン氏の記事「オーラソーマ 光と身体」から、そのあたりの話題に触れている部分をご紹介しましょう。
       —————————————————————— オーラソーマの色は表面的なものではなく、全体のシステムへの鍵となるものです。 その空のボトルがオイルと水の層を受け取るまでは、他のどの空のボトルとも区別はできません。 イクイリブリアムにおいては、色がその違いを作ります(時には明るく、時には微妙に、いつも美しく)。 しかし、イクイリブリアムの色について特に印象を与えるのは、通る光によって、色が輝くということです。 物資界のすべての物に色がついているけれど、それは、たいてい私たちが見る物の外側の表面に、光が反射しているからです。 体は物体であり、光は物体からはね返ります。 光と物体には違いがあり、分離しています。 しかし、イクイリブリアムのように透明なものにおいては、この区別が壊れ始めます。 ここでは光は物体を通して輝くことができます色は表面ではなく、光が通過することで輝く内側の表現になります。 私たちは輝く物の内なる色を見ることは少ないのです。 しかし、イクイリブリアムの透明な美しさによって、それぞれのボトルの内なる質が実際に現れます。
オーラソーマのギフトは、その内なる質がそれ自体を表し、色として現れ、そして、このように光の言語を話す方法を備えていることです。 長い由来があるにもかかわらず、それは20世紀の西洋の世界では親しみにくい概念かもしれません。 世界における、多くの古代の伝統的な知恵において、色の言語は魂の進化における統合的な役割を演じています。 たとえば、バルドソドル(チベットの死者の書)において、それはこう言われています。 体から魂が離れると、次に現れるのは光と色の閃光の連続です。 この光と色は、体とともに消えてしまった五感とは独立して知覚されます。 光と色を観ているものは意識それ自体です。 意識がどのようにこの閃光の連続に応答するかは、気づきと、その色によって意味される人生のその分野に、実際に魂が到達した熟練のレベルの尺度になります。 もっと言うと、この光と色の閃光への魂の応答が、魂が次にどの生に転生するかの環境を決めることになります。 スピリットの実現のプロセスへの鍵となる部分を説明するのに使われる言葉が光明(エンライトメント)であることに偶然はありません。 それは強烈で純粋な光の閃光の認知なのです。
このように見ると、光と色には深い意義があり、それは私たちの経験をとぎすます鍵の役割を演じます。 それは肉体を越える意識につながります。 魂のスパイラル、これはオーラソーマの創始者であるヴィッキーの言葉で、ひとつの生から次の生へと続くエッセンスを説明するのに好んで使われたものです。 光と色は、この魂のスパイラルが別の次元でその旅を続けていく鍵となります。 そしてまた、魂のスパイラルが新しい生まれ変わりとして、再びこの次元に戻ってくるかもしれない時のガイドでもあるのです。 最も重要なことは、光と色は私たちが地球上にいる間に、私たちの内にある気づきをガイドしてくれているということです。 色は人生の語彙です。 それぞれの色が経験、質、思考、フィーリングの分野に関係しています。 すべて存在するものは色の中に現れます。 色は衣服であり、その中で、人生の多様性がそれ自体を飾り、意識が個々の物の根本的な質を認めるのです。 この内なる意識は、私たちの日常の意識レベルにおいては観察できないかもしれません。 にもかわらず、それはいつもそこにあり、私たちの人生の行動というものを観ています。 それはからだの中にある気づきの光です
       『リビング・エナジー』Vol.4(p78-79)

——————————————————————– 私たちの行動を見ている気づきの光……。
面白い表現ですね。
空間が息づいていて、その空間が自分のなかで起こるいろいろな出来事を見ているかのようです。
人生ってなんなんでしょうね。
pari 記

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