光の歌―21世紀の福音書

光の歌―21世紀の福音書 (光の楽園BOOKS)/板谷 翠 ¥1,890 Amazon.co.jp
明るい世界は遠くに見えているようなのに、地上の現実は何かますます生きるのが難しくなっていくように見えます。
前世紀の終わりころ、“ノストラダムスの大予言”というのが流行ったことはご存じだろうと思います。 その頃は1999年というのがある種の大きな境目として、喧伝されていたものでした。 神道系の御神示では“大峠”とか“産道”というような言葉も使われることがあるようでした。 “大峠”ですから、そこを越えて新しい風景に出会うのは大変なわけでしょうし、“産道”ですから、そこを通り抜けて新しい世界に産まれていくのは大変なわけです。 そして、それらの御神示が等しく指しているのは、どうやら「食べ物」のことのようなのでした。 そのようなお話なかで、これまで地球世界は6回そのような“新し世界”へ向けての挑戦(あるいは、試練)に直面したと、伺ったことがあります。
前回の6回目はちょうど、旧約聖書の『創世記』にいう「ノアの方舟」のときで、そのときは地上は40日間、桁外れの大洪水に覆われていたわけです。 つまり、旧世界は完全に“洗い流されて”しまったわけです。 現在の地上世界は、そのとき「ノアの方舟」に乗って旧世界から救出されたひとたちの子孫が創ったものだいうのですから、この話を信じるかぎり、現在地上にはこの話と無縁な人間はひとりもいないことになります。
そして今回はその7回目、じつは最後の機会であるとも聞いたようです。 なぜ最後なのか? それは惑星地球が物理次元での役割を終えて、“ヒカリひとつ上ぐる”ことが決まっているからだということでした。 そしてその方は最後に付け加えるように、最後の今回は大洪水ではなく、“食べ物”が旧世界を洗い流す、とおっしゃっていたようです。 ノアの放った鳩が麦の穂を咥えて帰ってきたのはその暗喩でだということでした。
そんな話を聞いたことがあるわたしにとっては、この本に書かれていたメッセージは、一種とても納得しやすい情報でした。 さて、あのころから十数年を経て、また時代の振り子がそういうお話に近づいてきたような気がしないでもありません。
この本の著者の板谷翠さんという方は、それまで禅の修行者として知っていた方でした。(『ニューヨークの空は澄んで 私の座禅紀行』) ところがこの『光の歌―21世紀の福音書』では、彼女は天上界からのメッセージを託された者、いわば一種の預言者として姿を現します。
20世紀から21世紀への変わり目にかけて、われわれ地球人類が従来の価値観を手放すために、一種の試練の時期、暗い「夜」を通り抜ける必要があること。 われわれがお金に託した妄想を一度洗い流すために、お金を持っていてもどうにもならないという体験をすること。 そしてわずかな食べ物を人々と分かち合う過程で、生きるために本当に必要なものが何なのかをもう一度思い出すこと。
地球人類の集合意識がいったんそのことを理解したら、その後はすばらしい「朝」を迎えることになること。 そういったことが「夜の歌」、「朝の歌」といった散文詩の中で淡々と語られます。
他のチャネリング本にないこの本の特徴は、これがいわば“地球霊界”の仲間たちからのメッセージであることです。 非物理次元にいる地球人から物理次元にいるわれわれへの、いわば仲間内の囁きかけのようなそれは声です。 かつて地上に生を享けたたくさんの賢者、芸術家、著名人たちの名前が具体的に挙げられ、読む者に不思議な安心感を与えます。
また、この本の後半では、西暦四千年まであたりの大まかな地球人類の行く末が展望されています。 これからわずか二千年ほどの間に、肉体を纏う必要がなくなるほどにわれわれ地球人類は急速に波動を上昇させていくらしいのです。
ちょっと立ち読みしてみましょうか。   ——————————————————————–  その死を前にしたとき  いま、あなたがたがこの20世紀の繁栄の時代にあって  あれも欲しい、これも欲しい、と思い  それを得ることによって満足できると思っていたさまざまなものが  本当は何の意味も価値もないのだということを  痛感することでしょう
 ……
 そして、食べ物というのは  人々が何年分も貯蔵したりすることはできないものです  食べ物こそは作っては食べ  いつも流通をさせていなければならないものなのです  それは宝石やお金のように貯えることはできないものなのです  だから、その混乱のときに  自分だけは食べ物に困らないというような備え方はできないのです
 そしてそこでは  人々はお金の無力さというものも痛感するでしょう  どんなに銀行の貯金口座にたくさんのお金を持っていても  今日の食べ物をどうしても得ることができず  それが三日も四日も一週間も十日も続くとすれば  やっぱり死ぬ他はないのですから
 ここに至って人々は  今までお金や貴金属など貨幣価値のある物を持っていれば  楽な暮らしができるし、幸せに生きられると思ってきた  そのお金や物への信仰を捨てざるをえなくなります    (P146-148)
 
       『光の歌―21世紀の福音書』 ——————————————————————–
ふーむ。(-_-)
今は“断捨離”の時代、余計な囚われすべてを手放していく時ですよね。
経済社会への囚われだけでなく、これまでの地球の思い込みでは生存のための必須事項であった“食べる”ことさえも、手放していく時なのかもしれませんね
pari 記
     
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