シャドウ・エフェクト

昨日発行のメールマガジン「オーラソーマ通信」の巻頭エッセイより。 たくさんの方々にお読みいただきたいと思い、転載をさせていただきます。
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今回は「シャドウ・エフェクト」について紹介します。
オーラソーマを使用していると、ときどき好転反応のような現象に直面することがあると言われていたりします。よくあるのは、今まで気づかなかった自分の側面に気づいたり、自分の見たくない側面を見ることになったり、ということです。
オーラソーマは意識の光をもたらすことであり、エネルギー的にはバランスを回復することで、元気をもたらし(オーラを活性化する)、自分を愛する(魂をケアーする)ものなのに、一時的にしろ、ちょっと辛いようなことが起こったりするのはどうして? と思うことがあるかもしれませんね。
でも、それがどういう原理でそういうことが起こるのか、ということがわかっていれば、安心して対処することができます。
そのことを理解するのにうってつけの本が、この「シャドウ・エフェクト」ディーパック・チョプラ、デビー・フォード、マリアン・ウィリアムソン著 VOICE 発行 の本です。
サブタイトルは「シャドウには、人生を一変させるギフトが詰まっている」
まさにチャレンジからギフトへ、という2番目のボトルのプロセスでもありますね。
最近のオーラソーマの傾向としては、ギフトに着目することに比重を置いています。 それは自分のギフトや強みと充分につながっていないとチャレンジの側面にも対応しにくい、という現実的な配慮もあります。
しかし、現実にはチャレンジは避けては通ることはできない局面であり、そのときにチャレンジをチャンスと考えられるのか、それともくじけて落ち込んでしまうのかは、その人の人生の方向を決めるほどに大切なことです。
そういうときに自分の位置がわかって、向かうべき方向性、ヴィジョンが明らかになっていれば、くじけずに立ち向かっていくこともできます。
「誰もがシャドウ(心の闇)を持っている。シャドウを否定すると、シャドウに人生を奪われる。しかし、その存在を認め、光を当てた瞬間、人生を一変させる恩恵と変容がもたらされる」ということをこの本では語っています。
誰もが幸せになりたい、理想の人生を送りたいと思っています。 でも現実にはそうならないで、辛い思いをしてしまう。 自分は良くなろうとしているのに、なぜかいつも逆のことをしてしまう。 こうすればいいとわかっているのに、できない自分。 人間関係がうまくいかなくなったり、怒りや嫉妬に我を忘れてしまう。
それは、私たちが拒否や無視し、人からも見えないようにしている自らの暗い部分「シャドウ(陰の部分)」の影響のせいにほかならないのです。
でも実は、意外なことに、このシャドウこそが、私たちの本来の力強さ、幸福感、自らの夢を実現するための暴力を解き放つ鍵となる、というのです。
ちょうど太陽の下でいつも影がついてくるように、私たちはどんな努力してもその影からは逃れられません。
しかも、その自分の闇の部分を拒んだり、抑えつけようとすると、さらに痛み、苦しみ、後悔、あきらめを感じることになってしまいます。
その影の部分に主導権を握られ「シャドウ・エフェクト」(影の影響)に乗っ取られることになってしまいます。 その影の部分が私たちの選択を左右しはじめるのです。
そうなると、自分が何を食べるか、どの程度お金を使うか、何に熱中するかということさえシャドウが決めてしまいます。 シャドウは私たちに予想外の言動をとらせたり、悪癖や無駄な繰り返し行為に没頭したりするように仕向けます。 そのようにして本当の自分の人生を歩むことを阻もうとするのです。
しかし、「そのシャドウ(影)と向き合えば、怖れていることと正反対のことが起きる。 その中身と向き合えば、人生を急激に、そして前向きに変えてくれるパワーを見つけられる」のです。
では、どのようにそのシャドウに向き合い、どのようにすればそのパワーを見つけることができるのでしょうか?
詳しくはこの本を読んでいただきたいと思いますが、少しだけヒントを書いておきたいと思います。
まず、シャドウに対処するには、まずそのパワーを認める必要があります。 シャドウをより深く理解する必要があります。
シャドウがいかにして生み出されるのか、その根本的な現実を理解することで、それに対処する鍵を得るのです。
そして、その鍵とは「意識」なのです。 より高次の意識こそ、人間の影の部分に対処する解決法となるのです。
オーラソーマのボトルに記載してある「イクイリブリアムは意識の鍵です」というのは、まさにここにその影を克服するヒントがあることになります。
では、シャドウはどこから生まれてくるのでしょうか?
「私たちの中にある「分離したい」という衝動が、光と影という対比(そして戦い)を生み出しています。
そして分離衝動がこれ以上ないほど高まったときに、怒り、怖れ、妬み、敵意という形でシャドウが現れるのです。
人間の魂が神と悪魔、神聖さと汚れ、聖人らしさと罪人らしさを同時に感じられるのはこのためです」
「私たちの人生も、ある一方の極から他方の極に電流が送られないかぎり、“電力”が発生することはありません。
ひとたびこれを理解すれば、自分にシャドウがあるのはごく普通だと気づくことができるでしょう。
シャドウは分離を促す衝動です。 でもその衝動があるおかげで、統一、調和、一致を求める衝動も生み出されていくのです。 誰もが皆、影の部分を作り出さずにはいられません。
そうすることで、私たちは人間としての自我(よい部分も悪い部分もある、おなじみの”私”)を与えられるからです」
つまり、シャドウが生まれるのは、統一された大いなる意識から「私」を識別 したときなのですね。
いわゆる悪魔とされてきているのは、影の部分、暗い部分なのです。
「ただし、この部分はもとは神聖なものとして生まれています。 事実、“悪魔”(devil)という言葉は「気分がすぐれない神(the divine not feeling well)」が語源だという解釈もあるのです。 この事実にショッキングな結論が隠されています。
もし光を掲げて自らの暗黒面を見つけなければ、あなたは神聖な部分を完全に見ることができ ないのです。
しかし、ひとたび光を掲げて自らの影の部分を見つめれば、信じられないほど劇的な結末を迎えられます。
光と影の戦いを演出していた要素がすべて消え去り、完全な統合に向けて一路邁進できるようになるのです。
目に見えている宇宙、つまり外の世界を通じて、私たちは今までの人類の進化の歴史を知ることになります。
一方、目に見えない領域、つまり内面の世界を通じて、私たちは魂を与えられているのです。 このふたつの領域は切っても切り離せない関係です。
あなたが魂のレベルで変化を引き起こせば、外の世界(宇宙)においても必ず変化が生み出されていきます。
それは外の世界(宇宙)が魂を映し出す“鏡”であるからです」
「オーラソーマは魂の鏡です」
・・・というオーラソーマの創始者ヴィッキーさんの言葉がありますが、自分自身に意識の光を当てることで、そこには光も影も映し出されます。 しかしそうすることで、その光源である意識の光そのもの、大いなる意識であることに気づくとき、そこには二元性を越えて、影と光を越えた大いなる意識へと統合されていくのです。
それが、オーラソーマのプロセスでもあるのです。
ですから、そこに影が映し出されたとしても、それも自分の神聖なるものの一部なのですから、それをもあるがままに受け入れていくことができればよいのです。
そうすることでその影の側面も自然と神聖なるものに戻っていくでしょう。
尚 記
     
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