愛の光を人の内に認める

愛の光を人の内に認める
「イギリス版編集者のことば」から    by クローディア・ブース
        「オーラソーマ」は“蘇った古代の英知”とか、“新しい革袋に盛られた古い酒”といった喩えで語られることが多いようです。
まあ、この「オーラソーマ」というツールには、途方もなく長い時間のなかで検証されてきた普遍的智慧が集積されているのでしょうね。
それは古代の知恵かもしれませんが、もしかすると、それは宇宙的叡智なのかもしれません。
となると、この「オーラソーマ」を学ぶ者は誰でも、言葉の上では膨大な叡智の体系にアクセスできることになります。
降り注ぐ“気づきの光”が強まるにつれて、それらは否応もなく自明になってくる智慧でしょうから、いわばそれは時代を先取りした言葉とも言えます。
ではその言葉を“知っている者”はその智慧の担い手なのかとなると、いや、たぶん、そう一概には言えないのでしょうね。
というのは、言葉を知っているということと、その言葉を生きているということは、必ずしも同じことではないでしょうから。
今回ご紹介するクローディア・ブースの「イギリス版編集者のことば」のなかに、そのあたりの機微を伝える言葉がありました。
「オーラソーマ」を知る者は、不可避的にいわば“言葉の上での強者”になってしまいます。
クローディア・ブースは、そのことを伝えたかったのでしょうね……。
そのことを彼女は、“自分を大切にする”というメッセージに託して伝えようとなさっているようです。
       —————————————————————— イギリス版編集者のことば
                       クローディア・ブース
今回の編集者としての私の役割は、いろいろな状況のなかで、とてもむずかしいものでした。 「たいそうなこと」を述べ立てたたくさんの寄稿文が寄せられたことも、そのひとつです。 ヴィッキーは「自己愛」を説くのに一生を費やしました。 ですから、自分の価値を認め、自分を大事にしましょう。 彼女は「私たちは内なる教授(=直感)の声を聞くことができる」と教えました。 ですから、自分の声を聞きましょう。 彼女は「私たちは自分の責任をとることができる」と教えました。 ですから自分の意志はしっかり持ちましょう、と同時に柔軟でもいましょう。 でも、それより何より、彼女は私たちに「人に介入しない」ということを教えました。 自分を愛し、自分に責任をとることから出てくる第一の帰結は、他の人にも同じ事を許すということです。 私たちは出会う人すべてに自分を愛し、自分で責任をとる機会を与えることができるのです。
もし本当に私たちが自分を愛したならば、他の人の自由や自尊心を奪うことはできません。 というのも、愛の光を人の内に認めるからです(そして、それこそが唯一のありかたなのです)。
オーラソーマでは、私たちはすべて、あまりに「大げさなこと」を述べ立てる危険をもっています。 私たちは皆、すでに想像も及ばないほど偉大なのです。 ですからどうぞ、ただ、あるがままでいましょう。 本当に普通でいましょう。
私たちは本当に自分のままでいる勇気と信頼を持っているでしょうか。 そこには、普通でいることへの恐れがあるようです。 そうでありながら、私たちは、クライアントには自分の感じている平凡さを受け入れるように説いているのです。 カウンセリングで私たちは、あるがままの自分でいい、あなたは愛されているという体験を与えるのですが、しかし正直なところ、私たちはどれほど自分が賢いのか、示したがっているのではないでしょうか。 私たちは平凡であることを恐れています。 何かある声を耳にして、そのある存在が私に、「あなたにこう言うようにと言っていた」ということが言えたらなあ、と思っている人もいるのです。
これは、受け取る側にしてみれば、どんな感じがするでしょうか。 彼らにはたしかに、自分の直感に従ってメッセージの価値を認めるチャンスがあります。 もし彼らがそうできるようになったら、彼らはあなたのカウンセリングを受けるでしょうか。 彼らには3つの選択があります。
1)外からのメッセージを受け入れる。その場合、誰が誰の責任を取っているのか。 2)そのメッセージは拒否するが、黙っている。その場合、自分の体験と拒絶を口にしないということで、彼らは自分を否定していることになる。 3)そのメッセージを拒否し、あなたにそう言う。その場合、彼らはあなたに逆らうことになり、あなたは彼らを上に述べたヴィッキーの教えとは正反対の立場に置いたことになる・・・
問題は、このことはヴィッキーの教えという線から見て有効かということです。 この問題に答えるためには、この文の始めにちょっと戻ってみればいいのです。 明らかに答えはノーだと思います。
ある意味では、オーラソーマが神の力による閃きによって作られたものであり、マスターたちとワークするものだとあまりに語られてきたのは不運なことです。 しかしながら、カウンセリングの場面において、こういったことが勧められたことは決してありません。
……            『リヴィングエナジー』Vol.1(p23)

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そうかぁ……。
もし本当に自分を愛したなら、そのひとは他の人のなかにもその同じ愛の光を認めることになるんですねぇ。(-_-)
そして、それこそが唯一のありかた……。
そういうことになるんですねぇ。
pari 記

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