瞬間の輝き、今ここにいる

みなさん、こんにちは。

愛知県のLily angels、樋口ラトナ(Prem Ratna)です。

あけましておめでとうございます。

2018年がはじまりましたね。

少し前になりますが、禅的アプローチである「Who is in?」という瞑想リトリート(合宿)に参加しました。

ハート瞑想ではありませんが、瞑想をするなかで何度もハートにつながる瞬間があり、ハートと瞑想は切り離せないものだと、ハートはやっぱり入り口になるのだと、あらためて感じました。

ハートを感じる、ハートで生きるということがよくわからないとおっしゃる人も、まだまだたくさんいるのも事実。

私もハートを忘れてしまうこと、多々あります。

だから、ぜひハート瞑想を体験してみてください。

ハートを感じることは誰にでもできるのです。

思いだすだけなんですから。


さて、リトリートで呼吸の瞑想をしたときのある体験なのですが、自分の呼吸を見守ると、息を吐ききったあとに、次の呼吸が自然にやってくるまでの間がとてつもなく長く感じた数分間がありました。

私たちはふだん、無意識に呼吸をしています。

呼吸を意識したことは、どれくらいありますか?

オーラソーマのコースに参加すると、必ず瞑想の時間があり、ガイドのなかでこう言ったりします。

思考がやってきたときは、自分の呼吸へと意識を戻してみましょう、と。

これは、思考から離れることを助けます。

自分がどんな呼吸をしているのか知っていますか?

浅い呼吸、深い呼吸、速い、ゆっくり、浅くて速い、浅くてゆっくり、いろんなタイプがあり、そのときどきの体調や状況でも変わってくると思います。

そして息を吸うとき、吐くとき、それは無意識に行われているのか、ほんの数分でもなにかを想いながらしているのか。(瞑想のガイドでは、吸う息とともに自分の内側が満たされていき、吐く息とともに手放します・・・などと言っていますよね)

あなたはたった今、どんな呼吸をしていますか?

以前の私は、呼吸が浅く、ただ息を吸うということが、どうしてこんなにも困難なことなんだろうと思っていました。

吐ききる前に次の息を慌ただしく吸い込むのです。

うまく吸いきることができない私は、次の呼吸にしがみつこうとしていたのかもしれません。

だって、人は息をしないと死んでしまいますから!

瞑想のなかで横たわって呼吸を見守り、息を吐ききったあと、次の吸う息が自然に起こるのを待っていると、それがなかなかやってこない! ・・・それを慌てることなく待ちました。

その待っている間がいったいどれくらいなのか、ふだんの呼吸と呼吸の間が1~2秒だとしたら、このときはそれが10~20秒はあったような気がします。(息を止めて我慢をしたわけではありません)

その呼吸と呼吸の間をギャップと言ったりしますが、今度は、そのギャップに不思議なことが起こりだしました。

ものすごく意識がクリアになり、鮮明なビジョンを観たのです。

今回、その内容が重要なのではなくて、そのときの呼吸の質そのものがすばらしいものだったということ。

いつもこんなクリアでスムーズな呼吸がしたいと思いました。

そして、できる気がしました。

ところが、その数分後に、もう一度、自分の呼吸を意識して見守っても、同じようなことは起こらなかったのです。

当たり前といえばそれまでですが、このとき思いました。

あのときのすばらしい呼吸の体験は、あのときの、あの状態で起きたこと。その瞬間の輝きだということを。

私たちはすてきな思い出や体験が、その反対で、つらかったり悲しかったりもありますが、すべては今ここではありません。

それを思いだせばいいのです。

だから、どんなにすばらしい体験をしたとしても、そこにしがみつこうとしたならば、それは執着となってしまう。

そして、つらい経験によって不安や恐怖があるとすれば、それは囚われてしまっている。そのどちらも今ここではないのです。

このとき教えていただいたOsho(瞑想のマスター)の言葉をシェアしたいと思います。

なんらかのパターンを繰り返しているとき、私たちはその出来事のあとにたいてい気がつき、そこから離れることができたりします。

気づかない場合は、ずっとそのパターンのなかにはまっているということです。繰り返しているというのがその証拠です。

今回の呼吸の体験で同じことをしようとしてできなかったとき、あの瞬間のすばらしさなのだということを体験して初めて気がついたのもここです。

このとき、瞬間の、そして今ここの大切さに気がついていなかったならば、あのすばらしい体験に執着していたことでしょう。

これは良いとか、いけないとか言っているのではありません。
誰もがそこを通ってこなければならないのです。

そして、私たちは気づきはじめるのです。

これまでなにかの出来事のあとに、なにか重要なことに気がついていたこと。

気づきがはじまり、広がっていくことで今度は出来事のあとではなく、その最中に気がつくようになるのです。

その瞬間に起こっている呼吸の優雅さのなかにいながらにして、それは、たった今起こっているすばらしい体験なのだということに。

それが「今ここ」にいるということ。

私たちはその最初と次の段階を行ったり来たりしながら、気づきを広げていくのでしょう。


なにかのあとで気づく
なにかの途中で(最中に)気づく


そして最終的には、なにかが起こる前に気づくようになるのです。

そこへ到達するには、前の2つの段階は欠かせないとOshoは言ったそうです。

「B114大天使ラグエル」に続き、ペールコーラルのポマンダー、先月誕生した「B115大天使ケミエルとアリエル」と、コーラルのエネルギーが続いていますね。

マイクさんの考察のなかに、こうあります。

ペールコーラルのポマンダーから・・・

私たちがあまり愛してこなかった自分自身の部分を認識し、それらが自己のビーイングから切り離せない一部であることに気づくとき、そこに経験するシフトは、多くの場合、ネガティブな経験から学ぶことによって起こることに気づきます。

 


http://artbeing.com/aura-soma/pom/P17.html

大天使ケミエルとアリエルからは・・・

もし私たちが内なる深みで自分自身を信じるならば、人生という状況のなかで、自分が出会うものに関連して、多くのことが可能になります。

 


http://www.asiact.org/downloads/Emails/B115/japanese.html

考察の前後も、ぜひ読んで感じてみてくださいね。

ここには、ほんの一部だけ取りだしてこじつけちゃいますが(笑)

Oshoの言っているように、体験することが大切だということ。

その体験がどんなことであれ、必要なこととして起こっているのです。偶然ではなく必然とか、もう耳タコですよね!?

そして、それを信じること。

コーラルは、目覚めや新しい気づきへとサポートするメッセージが多くあります。

私たちがもう過去や未来にとらわれるのではなく、今ここへと目覚め、気づきを持って生きることを教えてくれているのです。

あらゆることが分離しているのではなく、すべてがつながっているのだということを。

ハートで生きることを通して、それは可能になるのだと思います。

B115がもうすぐ日本にもやって来ますね。

B115とのワークのなかで、私たちはいったいなにに気がついていくことでしょう。

各自、手元に届くのが待ち遠しく、楽しみですね。

Love  Ratna

 

       

 

樋口ラトナ プロフィール

英国オーラソーマ社公認カラーケアコンサルタント
AEOSホリスティック・ビューティーアテンダント
クリスタルマスター・トレーナー
エッセンシャルズ・インストラクター
日本メンタルヘルス協会認定心理カウンセラー
ハート瞑想ティーチャー
OSHOアクティブ瞑想ファシリテーター
OSHOメディテーションセラピーインストラクター

Lily angels
HP:https://lily-angel.amebaownd.com/

メール:lily.angels.5261018@gmail.com

 

 





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