光の身体と真のオーラ

光の身体と真のオーラ

「オーラソーマ 光と身体」から  ドミニク・ヨーマン

       

人生はしばしば旅に喩えられます。

もし人生が旅なら、もちろんそこには旅する者、つまり旅人がいるはずです。

そしてもちろん、私たちは自分をその旅人になぞらえているわけです。

おそらくこの観念は、期待いっぱいの好奇の目を人生に向けている若い方々から生まれたものではないでしょうね。

なんとなく人生というものの形も見当がついてきて、しかもそれがどこに向かっているのかがわからない、そんな思いを持つ年齢に達した方々から生まれた観念でしょう。

まわりを見まわしても、さまざまなドラマを通り過ぎて、やがて誰もが必ず地上から姿を消していくのがわかってくるわけです。

そんなこの地上の人生を生きているうちに、人生はこれだけじゃないはずだ、といった思いがわいてくる。

その時期は、ある人の場合は思春期かもしれませんし、別の人はもっとずっと大人になってからかもしれません。

そんななかで、あたかも自分をさまざまなドラマを通り過ぎてゆく旅人のように見る目が、どこかで生まれてくる。

そんな状況が、この人生をひとつの旅に喩える観念を生みだしたのかもしれません。

すると今度は、その旅人が使っている“乗り物”の連想が浮かんできます。

私たちの肉体をひとつの“乗り物”と見る感覚は、そんなふうに生まれたのかもしれませんね。

それはあくまでも、そこに旅する者がいる、という観念があるからでしょう。

そこに自分がいる以上、いつかその自分とは誰なのかを知りたくなるわけです。

本当の自分とは誰なのか? 何のことなのか?

そんな思いが湧いてくるのでしょう。

オーラソーマというツールに出会ったドミニク・ヨーマン氏は、旅人としての「真のオーラ」、乗り物としての「肉体」という概念に逢着したようです。

ではドミニク・ヨーマンの「オーラソーマ 光と身体」の記事から、「真のオーラ」「肉体」の出会いが「光の身体」を創造するドラマに触れたあたりの記述をご紹介しましょう。

       

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真のオーラがあり、肉体という乗り物がある、そして光と身体。
その二つを一緒にすることが仕事です。

 

これがオーラソーマの仕事です。

 

これまでに見てきたように、それは、その名前の中に内在しています。
真のオーラと身体、この2つのプロセスが同時に起こり、一緒になることによって、3番目のものができます。

 

光の身体。
光の身体と真のオーラとは別のものです
真のオーラはいつもそこにあります
光の身体は気づきを通して発達するものです

 

それは栄養を受ける必要があります。
発達し、大きくなる必要があるのです。
オーラソーマは魂のセラピーです。

 

魂のセラピーとしてオーラソーマとワークするということは、真のオーラの種を熟させることです
それによって肉体という土の中でそれが活発になるかもしれません。

 

意識を刺激し、物質世界における人生の環境と、真のオーラの統合をサポートすることによって、光の身体の発達は助けられます

 

異なった現象が一緒になって、3番目のものをつくりだすもう一つの例として、オーラソーマの見地から類似点を見てみましょう。
それはイクイリブリアムボトルと関連しています。

 

ボトルには、水とオイルという二つの相互関係にある、独特の要素を持つものが入っていますが、その層はちょうど半分ずつです。
イクイリブリアムはそれがオイルだけでも、水だけでも成り立たないでしょう。

 

イクイリブリアムを使うときは、この半分ずつでできた2層が一緒になる必要があり、そして一時的にもこの二つでできた乳剤が、使用前にボトルをシェイクすることでできあがります。
オイルと水、光と身体、スピリットと物質。

 

 

見た目には逆のものが統合することで、より大きな全体が現れるのかもしれません。
その部分を足す以上の、もっとすばらしい何かをつくるのがこのコンビネーションです。


    『リビング・エナジー』Vol.4(p78-79)
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【真のオーラがあり、肉体という乗り物がある】

【真のオーラはいつもそこにあります】

うーむ……。(-_-;)

「真のオーラ」は、一方では常在でありながら。

 

他方では「肉体」という乗り物を使う旅人でもあることになりますね。

なかなか難しいところですね。(*^_^*)

pari 記

 

 



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