聖なるものの促し

聖なるものの促し

 

「カラーのヒーリングエネルギー」から by リチャード・レヴィントン


       


アメリカのスピリチュアル誌「Yoga Journal」のライター、リチャード・レヴィントン氏のレポートを継続してご紹介しています。

 

今から三十年前のロンドンでのあるホメオパス(同種療法家)から受けたコンサルテーションが縁で、レヴィントン氏は英国テットフォード州のリンカンシャーのデヴオーラで、マイク・ブースのコンサルテーションを受けます。

 

それはちょうど糖尿病を患っていたヴィッキー・ウォール女史の最晩年にあたり、このリチャード・レヴィントン氏の滞在中に彼女は亡くなったみたいですね。

 

まるでヴィッキーさんから「広報のことはお願いしますね」と伝えられたかのような感じですね。

 

こういうレヴィントン氏のような方は、最初からオーラソーマファミリーとして準備されていた方ということなのでしょう。

 

それにしても、このレヴィントン氏の半ば外側からの観点で説明されると、このオーラソーマというシステムがどれほど【神がかり的】に優遇されたのかがよくわかります。

 

まさに【聖なるものの促し】によって起こっていることなのでしょう。


       


——————————————————————
聖なるものの促し

 

ヴィッキーウォールが「聖なるひと突き」を感じ、エッセンシャルオイルと植物の抽出液の「水を分け」、1983年の後半にオーラソーマのバランスオイルを創造することで、今世紀のカラーセラピーの開拓にあたっての最新の革新者となった。

 


ウォールは薬剤師と足治療師としての教育を受け、人間のエネルギーフィールド、オーラやチャクラについても熟知し、秘教の伝統にも通じていたにもかかわらず、彼女はオーラソーマをほとんど霊感を受けた直感によって産みだした。


彼女は常に「彼女を通して指導し働く、大いなる権威」に従っていた。
そして、この「奇蹟的な」オイルをこの世に送り出したのは、その大いなる権威者の決断によるものなのである。

「私の人生はいつも沈黙の祈りであり、絶対的な信仰を通しての、高次の意識と対話していました」と彼女は書いている。
 
彼女は本当に最もすぐれた人格者でした。
 そして私たちはいつも彼女は天国とのホットラインだと言ったものです

 

と元クラニオ・オステオパスでオーラソーマの理事長であり、ウォールの親友で、かつ1964年以来の同僚でもあるマーガレット・コックピンは話した。

 

ウォールは、ここ数ヵ月間重病をわずらっていたが(糖尿病であり、目が見えず、重大な心臓発作のあと心筋の40%しか動かなかったのだ)、私が訪問していたその週に72歳で亡くなった

コックピンはウォールが聖なるものに促されていたという話しにすぐさま同意して言った。

 

「彼女が瞑想を通してオーラソーマについての教えを受けて以来、起こることはすべて神がやっていることなのだと感じています」

コックピンの頭の中にはオーラソーマが、かなり奇蹟的にヨーロッパでの評判があがっていることが念頭にあった。
それは思いがけなく主要なマガジンや雑誌で報道されたり、貿易見本市での成功、懇願することなく証明書を受け取ることができたり、外部の援助者や投資家の助けなどにより最小限の経済的な投資ですんだのである。

 

具体的に言うと、ウォールがオーラソーマを発見するとすぐに、ヴォーグに似た権威ある女性の雑誌であるハイパー&クィーンが2ページにわたるカラーの特集記事で新しいシステムについて取り上げたのである。


ウォールとブースとコックピンはオーラソーマをロンドン、コペンハーゲン、パリ、その他のヨーロッパの首都、そして最後にはオーストラリアにおけるボディ・マインド&スピリット博覧会に出展した。
すぐに彼等は、全ヨーロッパ各地からこのカラーヒーリングの全く新しいアプローチの教えを求めてやってくる熱狂的な人々をテットフォードへと引き寄せた。
あるロンドンのヒーラーは自分のAIDS患者の治療にオーラソーマを導入し、BBCが1989年のAIDSの治療に関する主要なドキュメンタリーの番組で放映したとき、オーラソーマはきわだって好意的な報道をされた


これはある種の既成体制により認められたも同然であり、どんなにお金をかけて宣伝してもかなわないようなものであった。

ブースは1985年に彼のサムセットにある自宅で催された1週間にわたるセミナーに彼女を主賓として招待して以来、ウォールのオーラソーマのワークに加わった。  

 

当時、「バランス」のシステムはたった2ダースしかボトルがなかったが、ウォールは自分はすでに完全なセラピーのシステムを開発したと感じていた、とマイクは説明する。

 

「あなたが今それを見ているとしても、七年後には、それはまだ有機的に広がり続けているでしょう。
 私たちはいまだに新しいボトルを新しく創りだしているのです。
 あるものはワークショップのなかでのアイデアからできることもありますし、
 あるものは特別な、一回だけの注文のものもあります。
 新しい色のコンビネーションに対する反応を見ながら、臨床的な調査を経て私たちは新しいバランスを一連のオーラソーマのセットに加えます。
 最終的には全部で100本に達するのではないかと思います」
(この項続く)

 

        『リビング・エナジー』Vol.1(p15-16)
——————————————————————–

 

【あるロンドンのヒーラーは自分のAIDS患者の治療にオーラソーマを導入し、BBCが1989年のAIDSの治療に関する主要なドキュメンタリーの番組で放映したとき、オーラソーマはきわだって好意的な報道をされた】

 

もし日本だと、こうはいかなかったかもしれませんね。

 

いや、もともとまったく意味のない「もし」ですが。(*^_^*)

 

pari 記
 

 

     


Twitterボタン