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メインテーマ:暗がりに差し込む光
アファメーション:私はすべてをあるがままに見ます
この100番のボトルについては、このオーラソーマ通信の100号記念のと
きに一度書いていますので、今回は少し視点を変えて書いてみましょう。
大天使メタトロンって、どんな天使? ということを知りたい方は、前号を参
照してくださいね。前号で一応のことは書いてあります。
実はさまざまな「大天使」について、調べて書かなくてもよいというのは、正
直なところ、ずいぶん気持ちが楽になります。
そもそも大天使、という考え方は日本にはありませんし、なじみがないので、
調べてもなんのことやらよくわからない、というのが感想です。
聖書に記載されているのは、3人ないし4人ぐらいで、あとはいったいどこに
出典があって、どうなっているのかはあまりよく理解できません。
でも西洋文化のお勉強のつもりで一応は調べてはみるのですが、でも、さて、
その大天使がこのボトルとどう関係するのか、ということを考えると、それも
わからなくなります。
でも、おそらく、それは考えることではないのでしょうね。
それはそのように降りてくるものでしょうし、何かそのようなインスピレーシ
ョンを与えてくれるものであればいいのかもしれません。
実際、天使のことについての文献を調べていると、今も昔も、そのような天使
と出会ったり、会話したり、チャネリングしたりというようなお話が多いです。
そういう存在はあるのでしょうね。実際、そのような存在と遭遇した人にとっ
ては、実話なのですから。
それらの本には、感心するようなメッセージが書いてあったりしますし、読ん
でいるうちに、いかにもそのような大天使や天使が存在するような感じにもな
ったりします。
バシャールやラムサや神との対話、最近では引き寄せの法則などもチャネリン
グをベースにしたメッセージがもとになっていたりもしますが、それはそれと
して、すばらしいメッセージが含まれていると思います。
でもオーラソーマのコンサルテーションが大天使とのチャネリングになってし
まうと、それは話が違うでしょうね、ということになります。
なぜなら、チャネリングは、誰か別の人、大天使や別の人が話していることで、
話している本人が責任をもたないことになってしまいます。
そこがチャネリングと直感と異なるところで、直感は自分の内なるものとつな
がることであり、オーラソーマではヴィッキーさんの言うように、内なるガイ
ドにつながることで、すべての責任は自分にあります。
オーラソーマはとりわけ、自分で選んで、自分でそのボトルを使ってワークし
ていくものですので、あくまで自分の人生には自分で責任をとっていきますと
いうことが基本にあり、そのことをサポートしていくためのシステムだからで
す。
ですから、大天使のボトルとはいっても、その大天使はインスピレーションを
与えてくれるものであるかもしれませんが、それらの大天使をボトルに入れて
持ち運ぶというものではない、ということは理解しておく必要はあるでしょう。
話が最初から脱線してしまいましたが、この100番のボトルを見て、みなさ
んはどのように感じるでしょうか?
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上の色はクリヤーで、すべての虹色を含んでいます。意識の光でもあります。
下の色はディープマゼンタで、すべての色を潜在的可能性として含んでいます。
光を当てると神秘的な光を放ちます(ボトルがある人は、ぜひろうそくの光か
懐中電灯を背面から照らして、その光を見つめてみてください)。
ゲーテはアンシーンカラー、目に見えない色、というふうに語っています。
光が当たらないときは黒、暗闇のようにも見えます。
このボトルを見ていると、私は次の手紙を思い出します。
愛するものよ
私はすべてのものとひとつだ
美しさの中に
醜さの中に
あらゆるもののなかに
わたしはいる
美徳のなかだけでなく
罪の中にも
わたしはそのパートナーとしている
天国だけでなく
地獄もまたわたしのものだ
仏陀、キリスト、老子….
彼らの後継者たるのは簡単だ
しかしジンギスカンやティムールやヒトラーはどうなる?
彼らもまたわたしのなかにいる!
ちがう、半分だけではない….わたしは人間のすべてなのだ!
人間としてあるもの、そのすべてがわたしのものだ
花も棘も
暗闇も そして光も
もし甘露がわたしのものだとしたら 毒は誰のものだというのだ?
甘露も毒も 両方がわたしのものだ
このことを経験したものは誰であれ
そのような人は宗教的な人だと、わたしは呼ぶ
そのような体験の苦悩にあるもののみが
この地上に革命を起こすことができる
OSHO
A Cup of Tea
これはラハシャが「ハートからのカウンセリングスキル」のなかで配るプリン
トに書かれてあるものです。
この手紙はOSHOが弟子に宛てた手紙の書簡集のなかにあります。
仏陀やキリストは自分だ、と言う人は多くいますが、ヒトラーもまた自分の中
にいると言える人はどれほどいるでしょう?
暗闇も光も、それらの両方を自分の内側に含んでいるのですね。
そのような体験と苦悩にあるもののみが、この地上に生きることに革命を起こ
すことができる、というのは、何かこころの奥深くに響くものがあり、このボ
トルを見ていると、そのことが内側に感じられてくるような気がします。
最近、「ハワイの秘法」(PHP出版)という本を読みました。
これは「セルフアイデンティティ・ホ・オポノポノ」というハワイアンの最新
の癒しのメソッドについての本です。それは、「ある精神障害を持つ犯罪者た
ちを、その誰とも一切専門的に接することなく、監房ぐるみで治療した」とい
うメソッドでもあるそうなのです。
そんなことが可能なのでしょうか?
でも、それは事実としてあるわけなので、否定できないですね。
では、どうやって? と思います。
普通はそのような場合、セラピストは問題は患者の中にあって、自分ではない
と考えますね。でも、この秘法では考えは逆で、問題の源は依頼人の問題とい
うよりもセラピスト自身のものとして受け取るというのです。
それをやってのけた人はヒューレン博士というのですが、彼の考えは「人生に
対して完全に責任を負うということは、人生のすべてに対して責任を負うこと
である。なぜならば、この世はそっくりその人が創造したものだから」という
ことにあるようなのです。
ですから、「問題はそれらにあるのではなく、自分にある。だから、それらを
変えるには自分自身を変えなければならない」ということになるのですね。
これをつきつめると「人生を改善したければ人生を癒さなければならない。誰
かを治療したいのであれば、その対象が精神的にやんだ犯罪者であろうと、自
分自身を癒すことによって治療を行うのだ」
ということになります。
ではどうやって自分を癒したのか?
それがその秘法になるので、ここでは書けません。
そのワークに参加して下さいってことになるのですが、そのヒントがこの本に
は書かれてあります。
それは、実に簡単な4つのキーワードなのです。
「ごめんなさい、許してください、感謝しています、愛しています」
これらの言葉を言い続けることなのです。
何のために?
それはすべてを浄化し、ゼロの状態に戻るためなのです。
どういうことかというと、それは次のような世界観からなのです。
宇宙は、それ自身が鏡に映らない無から始まった
だが、ある日、無は自らを鏡の中に見出し、あなたがたが生まれた。
その瞬間からあなたは創造し始め、無意識のうちに信念、予定、記憶、思考、
言葉、行為、その他もろもろを理解して受け入れてきた。
だが、それらプログラムの多くは存在し始めた当初のときに戻ることで、何ひ
とつないゼロの状態になり、きれいになる。
そこは無限の可能性を秘めた、ディープマゼンタの世界のようですね。
この100番のディープマゼンタとクリヤーの世界は、そのゼロの宇宙の最初
の姿、無から、無限の創造性を開花した姿が、虹色をすべて含んだクリヤーの
世界に表現されているともいえそうです。
わたしたちには、そのすべての虹色の可能性が、すべて含まれていることをこ
のボトルは教えてくれているようです。
そしてその虹色のすべての可能性を光り輝かせるのは、すべてわたしたちの責
任でもあるのです。
えたに 記
☆B100 The Archangel Metatron(大天使 メタトロン)のボトルは、こちらに詳細が掲載、ご購入いただけます。
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