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ヴィッキーさんのボトルのメッセージは「ハートのコミュニケーション・・・自已の魂を信頼する」
メインテーマは「芸術やマスメディアを媒体にしたコミュニケーション」
アファメーション「すべては流れていきます。私はその流れに調和します」
ターコイズという色は、喉の第5のチャクラ「ブルー」と、ハートの第4のチャクラ「グリーン」の中間にある色で、アナンダカンダチャクラ、「私は誰?」と問いかける4、5のチャクラといわれています。
では、その「私は誰?」と問うのは誰でしょう?
そして、その答えは?
今回のボトルでは、そのことをターコイズの色のなりたちから考えてみましょう。
まず、どうしてこのターコイズのチャクラが「私は誰?」ということを問うチャクラとなるのでしょう?
それはハートの人、ラマナ・マハリシの体験に基づくからでもあるわけですが、色の観点から考えてみても、おもしろいことがわかります。
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
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ターコイズはブルーに初めてイエローが入ってくる色なのです。
つまり、ブルーに少しのイエローを混ぜると、ターコイズになります。
これはどういうことかというと、ブルーの大いなるなにか、サムシンググレート、大いなる意思、大いなる意識、「存在」、汝の意思、などいろいろな呼び方がありますが、そのブルーにイエローの「私」という自我の意識が生まれた、ということなのです。
そこで、イエローの「私」が問うわけです。
「私は、どこから来たの?」
それまでは大いなるブルーの意識の海にいて、ただ意識のみがあったのですが、イエローの個の意識が生れ落ち、「私は誰?」と思うわけです。
それは、実は、みなさんも毎朝体験しているはずです。
朝、目覚めて、まだ目を開ける前の瞬間です。
目覚めたとき、ただちに布団のなかにいる自分を感じ、当然のことのように、これが自分だと思っているかもしれません。
でも、たとえば、泥酔したことがある人は、一度ぐらい体験していることがあるかもしれません。
あるいは海外に行って、時差ぼけで、朝目覚めたとき。
「ここはどこ? 私は誰?」と、一瞬思ったことはありませんか?
私はある事故にあったとき、それを明確に意識したことがあります。
それは、あるとき、ひどいぎっくり腰になり、もう、寝返りはおろか、1ミリたりとも身体を動かすことができなくなったことがあります。
身体にはひどい痛みがあって、眠ることさえできず・・・でも眠ってしまった、というか、ある瞬間に、気を失ったように眠ってしまったのです。
そして目が覚めると痛みがないのです。
というか、痛みのあった身体がないのです。
「あれ? 身体がない。どうしたのだろう?」と思った瞬間、その意識が身体に入り、「いててて・・・」といった具合に、もとの痛みのある身体に戻ってしまったのです。
目が覚めたとき、眠ったのとまったく同じ姿勢で、1ミリも動いていないのがわかりました。
あまりに身体に痛みがあると、意識は身体を離れてしまうのでしょうね。
あるインドの聖者が、普通の人なら麻酔をかけないと耐えられない手術に、麻酔もせずに平気な顔をしていたので、ある人が「痛くないのですか?」と聞いたとき、「私はその間は、身体から離れているから大丈夫なのだ」と答えたといいます。
瞑想しているときに身体を離れたり、身体がなくなるようなこともありますが、私にとっては、そのときはその対比が疑いようもなく、とても明確だったので印象的だったのです。
その聖者のように、意図的に身体を離れるなんてできませんけれど。
でも、よく観察してみると、朝、起きるときに注意してみると、目が覚めるとき、どこからともなく、意識がふと戻ってくる瞬間があるのです。
そして身体に気づいて、目を開けると、そこに見慣れた風景がある。
ふだんは、自分に身体があって、自分のいる場所もただちに認識するので、そのことを自覚することはありません。
でも、身体を持つ以前の意識、というのがあるのです。
私たちは毎晩、無意識のなかで大いなる意識に帰っているのでしょう。
そして、毎朝、この身体に帰ってくる。
そしてあるとき、大いなる意識に帰ったまま、身体に帰らない日もやってくるわけです。それを死と言うようですが・・・。
あなたはそのとき、どこに行くのでしょう?
それは、あなたがブルーの意識であるときの「あなたは誰か?」ということでもあるでしょう。
それは意識的に、その大いなる意識に返るための問いかけでもあるのです。
ブルーの意識から、この世にやってくるとき、「私は誰?」と問う場合とは逆に、あなたがこの世に生れ落ちて、肉体を持ち、そしてコーラルからターコイズまで、イエローが含まれている人生を生きているわけですが、ブルーに返るとき、そのイエローの意識は消え去るわけです。
イエローの人生を生きているときには、あなたには名前があり、感情があり、思考があり、さまざまな「私」といえるものがあったわけです。
でも、いつしか、そのイエローという「私」がなくなるときが来る。
このときにも「私は誰?」という問いがあるわけです。
このときは、「私はどこへ行くのだろう?」という問いです。
「私はどこから来て、どこに行くのだろう?」
そして、それを問う「私は誰?」
禅の考案に、「父母未生以前の本来の面目如何」というものがありますが、それは、あなたが生まれるさらに以前の、あなたの父母が生まれる前は、あなたはどこにいたの? 本当のあなたは誰? 本当の自分を探してごらん、ということです。
このターコイズのボトルは、そのことを私たちに問いかけているようです。
タロットは、「カップの8」、「生命の木」は8番目のスフィアである、ホド(栄光)。
えたに 記(2006,1/25)
☆B43 Creativity(創造性)のボトルはこちらに詳細が掲載、ご購入いただけます。
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