B43 Creativity(創造性)

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ヴィッキーさんのボトルのメッセージは「ハートのコミュニケーション・・・自已の魂を信頼する」
メインテーマは「芸術やマスメディアを媒体にしたコミュニケーション」
アファメーション「すべては流れていきます。私はその流れに調和します」

ターコイズという色は、喉の第5のチャクラ「ブルー」と、ハートの第4のチャクラ「グリーン」の中間にある色で、アナンダカンダチャクラ、「私は誰?」と問いかける4、5のチャクラといわれています。

では、その「私は誰?」と問うのは誰でしょう?
そして、その答えは?
今回のボトルでは、そのことをターコイズの色のなりたちから考えてみましょう。

まず、どうしてこのターコイズのチャクラが「私は誰?」ということを問うチャクラとなるのでしょう?

それはハートの人、ラマナ・マハリシの体験に基づくからでもあるわけですが、色の観点から考えてみても、おもしろいことがわかります。


ターコイズブルーに初めてイエローが入ってくる色なのです。
つまり、ブルーに少しのイエローを混ぜると、ターコイズになります。

これはどういうことかというと、ブルーの大いなるなにか、サムシンググレート、大いなる意思、大いなる意識、「存在」、汝の意思、などいろいろな呼び方がありますが、そのブルーイエローの「私」という自我の意識が生まれた、ということなのです。

そこで、イエローの「私」が問うわけです。

「私は、どこから来たの?」

それまでは大いなるブルーの意識の海にいて、ただ意識のみがあったのですが、イエローの個の意識が生れ落ち、「私は誰?」と思うわけです。

それは、実は、みなさんも毎朝体験しているはずです。
朝、目覚めて、まだ目を開ける前の瞬間です。

目覚めたとき、ただちに布団のなかにいる自分を感じ、当然のことのように、これが自分だと思っているかもしれません。

でも、たとえば、泥酔したことがある人は、一度ぐらい体験していることがあるかもしれません。

あるいは海外に行って、時差ぼけで、朝目覚めたとき。
「ここはどこ? 私は誰?」と、一瞬思ったことはありませんか?

私はある事故にあったとき、それを明確に意識したことがあります。
それは、あるとき、ひどいぎっくり腰になり、もう、寝返りはおろか、1ミリたりとも身体を動かすことができなくなったことがあります。

身体にはひどい痛みがあって、眠ることさえできず・・・でも眠ってしまった、というか、ある瞬間に、気を失ったように眠ってしまったのです。

そして目が覚めると痛みがないのです。
というか、痛みのあった身体がないのです。

「あれ? 身体がない。どうしたのだろう?」と思った瞬間、その意識が身体に入り、「いててて・・・」といった具合に、もとの痛みのある身体に戻ってしまったのです。

目が覚めたとき、眠ったのとまったく同じ姿勢で、1ミリも動いていないのがわかりました。
あまりに身体に痛みがあると、意識は身体を離れてしまうのでしょうね。

あるインドの聖者が、普通の人なら麻酔をかけないと耐えられない手術に、麻酔もせずに平気な顔をしていたので、ある人が「痛くないのですか?」と聞いたとき、「私はその間は、身体から離れているから大丈夫なのだ」と答えたといいます。

瞑想しているときに身体を離れたり、身体がなくなるようなこともありますが、私にとっては、そのときはその対比が疑いようもなく、とても明確だったので印象的だったのです。

その聖者のように、意図的に身体を離れるなんてできませんけれど。

でも、よく観察してみると、朝、起きるときに注意してみると、目が覚めるとき、どこからともなく、意識がふと戻ってくる瞬間があるのです。

そして身体に気づいて、目を開けると、そこに見慣れた風景がある。

ふだんは、自分に身体があって、自分のいる場所もただちに認識するので、そのことを自覚することはありません。
でも、身体を持つ以前の意識、というのがあるのです。

私たちは毎晩、無意識のなかで大いなる意識に帰っているのでしょう。
そして、毎朝、この身体に帰ってくる。

そしてあるとき、大いなる意識に帰ったまま、身体に帰らない日もやってくるわけです。それを死と言うようですが・・・。

あなたはそのとき、どこに行くのでしょう?

それは、あなたがブルーの意識であるときの「あなたは誰か?」ということでもあるでしょう。
それは意識的に、その大いなる意識に返るための問いかけでもあるのです。

ブルーの意識から、この世にやってくるとき、「私は誰?」と問う場合とは逆に、あなたがこの世に生れ落ちて、肉体を持ち、そしてコーラルからターコイズまで、イエローが含まれている人生を生きているわけですが、ブルーに返るとき、そのイエローの意識は消え去るわけです。

イエローの人生を生きているときには、あなたには名前があり、感情があり、思考があり、さまざまな「私」といえるものがあったわけです。

でも、いつしか、そのイエローという「私」がなくなるときが来る。
このときにも「私は誰?」という問いがあるわけです。

このときは、「私はどこへ行くのだろう?」という問いです。

「私はどこから来て、どこに行くのだろう?」

そして、それを問う「私は誰?」

禅の考案に、「父母未生以前の本来の面目如何」というものがありますが、それは、あなたが生まれるさらに以前の、あなたの父母が生まれる前は、あなたはどこにいたの? 本当のあなたは誰? 本当の自分を探してごらん、ということです。

このターコイズのボトルは、そのことを私たちに問いかけているようです。

タロットは、「カップの8」「生命の木」は8番目のスフィアである、ホド(栄光)

えたに 記(2006,1/25)

☆B43 Creativity(創造性)のボトルはこちらに詳細が掲載、ご購入いただけます。

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