「どこに行くのよ!」「家よ」

マーガレットさんの手が「ドアに挟まれ、2本の指が逆に曲がってしまった」ことは車に乗っている3人が見て、知っていることでした。

その証拠にマーガレットさんは痛みで顔面蒼白となり、後部座席の女性の顔からも血の気が失せています。

しかしそのすべてを見て、知っているはずのヴィッキーさんは、ひと言も発することなく、落ち着いてマーガレットに「指を口にいれて」と指示します。

このとき、一瞬も無駄にできない状況のヴィッキーさんは、日常とは違う知性レベルで機能しはじめたのでしょう。

まず、みんなの目から、物理的視覚情報を遮断したのでしょうね。

これで車内の全員の目で、マーガレットの指のその後の自動的崩壊状況が確認されることはなくなりました。

そしてヴィッキーさんだけが彼女の指の全体像をアストラルレベルで見ていたのです。

もし、車中の3人の視線でその後マーガレットの指に起こることを確認していたら、いかにヴィッキーさんが練達のヒーラーだったとしても、マーガレットの指に起こった奇跡的な治癒は起こりえなかっただろうと思われます。

マーガレットの指に、その後起こることを“知っている”当人と、後部座席の女性の2人の強い思い込みの想念力を打ち負かしてまで、ヒーリングを起こせる確信のパワーはヴィッキーさんにもなかったでしょうから。

しかし、すごいものですねぇ。

ヴィッキーさんはこのときの体験で、自分がヒーラーとして「格段の進歩を遂げた」ことを認めています。

では、ワイト島で起こった事故のその後をご覧ください。


私の心と体は超然としており、突然、彼女の手の全体が見えました。
後ろの席にいる友人は、今や火を吹き、私には彼女の思いや私の無関心が彼女にどう映っているか、手に取るようにわかりました。
彼女は断固として言い張りました。

「すぐに病院に行かなくちゃ! ぐずぐずしてる暇はないのよ」

そして、私の運転を見ると、さらに声を張り上げ、

「どこに行くのよ!」

「家よ」

私はきわめて冷静でした。(家というのは、私たちが宿泊していた宿のことです)
私は運転を続け、そして彼女の指を見てみましたが、どこにも異常はありません。
例の友人はどうにも信じられないようで、やっぱりこう主張しました。

「明日になったら、きっと腫れ上がるわよ。
 やっぱり今日中にレントゲンを撮るべきよ」

けれどもそのまま時は過ぎ、その指は正常に機能しています。
痛みもなければ、打ち身も傷跡もまったくなし、あれから20年たった今でも、マーガレットはそちらの手には関節炎も何もないと証言しています。
けれども、時の洗礼を受けて、もう一方の手は、小さな傷やひび割れができていますが、それももっともなこと、職業柄、常に手を使い続けているわけですから。

ここで私が学んだレッスンは貴重なものでした。
その日、私はヒーリングについての理解という点で、格段の進歩を遂げたのです。
奇跡の治癒を祈り、血の出るような祈りも虚しく、結局、愛しい魂は指の間をすりぬけ、手の届かないところへと旅立ったという経験を、私たちはどれほど繰り返したことでしょう。
いったいそれは、なぜだったのでしょうか。
燃えるような熱意とともに世話をし、それは深く愛し、絶え間なく祈ったにもかかわらず、それでもその人は逝ってしまうのです。

そんなときに完全に超然としていること、体から抜け出してアストラルの状態に入ること、それによって地上的な感情に煩わされず、永遠の意識と完全に触れあい、つながりを持つことができるということを、先に述べた経験によって、私ははじめて学んだのでした。

多くのヒーラーが、親密な関係を持っている相手のヒーリングは難しいといいますが、それは単に、距離を置いて見るということがほとんどできないからなのです。
私はそれ以来、個人的な状況においても、アストラルの旅をする能力を開発しようと務め、それは実際、効果を上げています。
体にとっても魂にとっても、魔法の呪文はありません。
進歩というものは、常に一歩一歩のたゆまぬ歩みなのです。

★ ★ ★

そしてまた、おもしろいエピソードがあります。
時は流れて約十五年ののち、ある博覧会でふと誰かに呼び止められました。

「ヴィッキーじゃないか」

ためらいがちな声が呼びかけました。

オーラを見てみると、それは、シルビアのご主人でした。
少々びっくりするのも無理はありません。
彼と付き合いのあったころ、私は治療師で、まだ「バランス」ボトルも生まれていなかったのですから。
振り返ると、シルビアの瞳がそこにありました。
彼はさらに続けました。

「僕は今、シルヴィアの仕事をしてるんですよ。ハーブのプロとしてね」

彼がその仕事に打ち込んでいるのは、間違いありません。
私のハートは躍りました。

「おかえりなさい、シルヴィア」

私はそっとつぶやきました。

『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p257-259)


 

ヴィッキーさんの本の描写はとても映像的で、まるで映画を見ているようですね。

盲人のヴィッキーさんに、まわりに人たちとはまた一味違ったレベルの物語が起こっている様子が、こんな短い文章のなかにも感じられるのですから。

pari 記

 

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