2022年幕開けのコースは1月7日からの4日間。
レベル1のコースは、まさしくはじまり!
年末から楽しみでわくわくしながら迎えた初日は
雪が積もった翌日で、どうなるかと思ったけれど快晴。
雪景色のなか、冷えた空気いっぱいの外は
新鮮で神聖で“心新たに!”
そんな言葉がぴったりの初日だった。
自分のなかで今回のコースでは、
どんな自分と出会うのかなあ。
どんなふうに自分と向き合うのかなあ。
何回受けても、コースの初日は
いつもちょっとの緊張がやってくる。
でもやっぱり、ユニティの玄関をくぐると
緊張感から自由になり、
わくわくする自分に還っていく。
毎回、今回の船にはどんな人が乗ってきて、
どんな人と出会えて
どんな旅を共有するのかな?
顔なじみの方々に会えると
また嬉しさが倍増で楽しみも倍増し、
ボトルを選びながらゆっくり、
深呼吸のなかで自分の内側に入っていく。
半年前くらいからずっと3本目にいたボトルが
2022年、はじめて選ぶ4本ボトルの
1本目にきた初日。
自分のなかのいろいろな意識が
そのボトルを通してやって来ていることに
気づきながらはじまりました。
初日の4本ボトルのマトリックスは
私にいろいろなことを投げかけてきたけれど
まだちょっとごまかしたくて
見て見ぬふりをしてみました。
マゼンタとロイヤルブルーの
オンパレードのボトルたちの裏側にある
マトリックスから見える色。
そして、レベル1であらためて学ぶ
色彩の言語と補色の存在。
マゼンタの補色のオリーブグリーン、
ロイヤルブルーの補色のゴールド。
私にとって隠れた色として
4日間ワークすることになったカラーでした。
たまたま1日目にペアになった私の大好きなお姉さまも
共通するカラーのテーマでシンクロニシティを感じると
ますます自分の行くべき道の上にいるのだなと
そんな確信がやってくる。
年末、私自身のなかのいろいろなことを
大掃除して大浄化して、
昨年1年を通して感じていた部分をもう一度見直す。
私のなかでずっと自分自身に、
“何もできなかった。何も進まなかった”
成長がなかったように感じてた昨年。
思ってたよりずっと苦しくて、
“もっとできるのに! もっとやれるのに!”
何も形にずに、何も結果が伴わない自分に
ほんとうにもどかしさと苛立ちがいっぱいでした。
ある意味、私にとって昨年1年は、
ほんとうに苦い経験ばかりで
色で言うオリーブグリーンの経験そのものでした。
やりたいこと、したいこと、
未来への“希望”はたくさんあるのに
目の前にある現実は何も形にできてないという
苦くて未熟者の私というの経験。
表現したいことが現実ではまったくできなくて。
自己実現ができないもどかしさに苦しく
ぶち当たった1年でした。
そして、自分のなかにある古いパターンや
しがみついているもの。
自分のなかでこだわって執着していたこと。
それをずっと握りしめて手放せずにいたのは
新しいものに開いていくことが
私は怖かったからだったんだなあ・・・と。
でも、同時に自分への評価の低さや、
自分自身に受け取ることへの抵抗。
自分自身に価値を見出すことが
どれだけできていなかったのか。
できていないこともたくさんあったけれど、
できたことは何だったのだろう。
そこに開くことができたのは、
ほんとうに大きな変化でした。
このコースでボトルを通して自分を見ていくことで
その“何もできなかった自分”も、
何か“執着”や“こだわり”を持っている自分も、
もっとやれるのに! と
抑え込んで表現しきれなかった自分も
その経験が今の私を育てたんだ! と、
そこに自分の芽を見つけることができた
2日目の行きの江ノ電。
車内全体が、まさかのオリーブグリーン1色で
もう朝から最悪だ・・・(`-д-;)
なんて色を引き寄せてしまったのだと思いながら
コースに向かったのもいい思い出だった。
2、3日目はボトルの並び順すらも
変化せずまったく同じで、
変わらず、何も進んでいないように見えて
やっぱり少しずつ、昨日より今日、
今日より明日と、その瞬間に生きてる自分は
ちょっとずつその瞬間“最高バージョンの自分”に
なれるように足を前に進めていました。
2日間まったく変わらなかった4本のボトルを見て、
同じように見えても違うことに気づけたり
そこから自分を深めているんだとわかったり。
見えなくても形になっていなくてもちゃんと前進していると
前に進んで目に見える形を形作ることも
もちろんとても大切だけど、
私にとって必要だった“前進”の形は、
土のなか深くに埋まった種が
少しずつ膨らんで芽を出すことより
土のなかでゆっくりじっくり
先ずは大きな根を育んでいくことだった。
私がなりたいのは、神社とかお寺にある
誰が見てもホッと触れてみたくなって
見るだけでパワーがもらえて
触れればエネルギーを分け与えてもらえる
パワースポットみたいな
大きな幹で真っ直ぐ大地に根をはり、天に高く
伸びやかに育った大きな御神木のような光の柱。
そうなっていくためには必要な経験で
きっと、それはこれからも続いてて。
じゃなければ、きっと私はほんとうの意味で
マゼンタ色の私にはなれないし、
マゼンタの意味する「天からの愛」や
「小さなものへの愛」を
この世界に分かち合っていくことはできない。
苦味や苦しい経験、暗闇や先が見えない不安。
自分の行き場のない気持ちの向き合い方なんて、
全部痛みとして向き合って、苦しくて、経験して
ときにはいったん放棄して・・・
そうやって自分との向き合い方、
折り合いのつけ方を見つけた先に
自分を輝かせる方法を見つけていけるのだと思う。
“どっちか”だけじゃなく、
“両方”を知っているからこそ
きっと伝えていけることがあるし
分かち合っていけることがある。
4日間のコース中、毎日選ぶ4本のボトルのなかで
今回初めての経験がありました。
それは、1、3、4本目のボトルが毎日同じだったこと。
(2本目のボトルは毎日下層がマゼンタでした。笑)
1本目は「116 マブ」
https://artbeing.com/aura-soma/equi/B116.html
3、4本目は「B96 ラファエル」と「B97 ウリエル」
https://artbeing.com/aura-soma/equi/B096.html
https://artbeing.com/aura-soma/equi/B097.html
3、4本目を選ぶときに毎日やってきた
“この2つはセットじゃなきゃダメなんだ”という感覚。
その感覚が教えてくれたことが
“どっちか”だけじゃなく“両方”だった。
私はよく“太陽みたいに明るいね~!”と
言ってもらえることが多く
2年前に奄美大島で出会った親友は
未だにマイ・ティダ (奄美の方言で“太陽”の意味)と
私を呼んでくれる。
だから太陽みたいな自分の輝きは知っていても、
月のような輝きは私にはないなあ
私は月にはなれないなあと
どこかで“輝き”を放つ象徴のような“太陽と月”を
自分のなかに持っている質と持っていない質として
捉えていました。
まだ、なぜ私がここにそれを選ぶのか
まったく理解できていなかったコース中、
ご一緒した方が私のボトルを見て、
月と太陽の話をすると「私にはどっちにも見えます!」と
言っていただけたことが、とても大きな気づきをくれました。
“ホンモノ”を知りたい。
“ホンモノ”になりたい。
もう一度オーラソーマを学ぼうと決めたとき、
その“ホンモノ”を学びたくて、
それを教えてくれる人のところで
全力できちんと学びたい。
その思いが、私をコマラのもとに導きました。
まだ会ったこともなかったコマラに、
私はきっと“ホンモノ”をどこかで感じてて、
今思えば、私がなぜコマラのもとに来たのか
2年前の私をほめてあげたい。
私はあのとき、ほんとうの自分として、
これから先、生き抜く覚悟を決めたかった。
まだ眠っている魂の輝きを
深い眠りから呼び起こし解き放つ。
そして、大きな光で導き続けること。
私が私の命を本気で生きて
自分の命を費やして、
ほんとうにしたかったこと。
私がほんとうにしていきたいことを
私に見せてくれたのがコマラでした。
そんな、ほんとうにしていきたいことを見つけた私。
でも、そんな自信と覚悟がまだない・・・。
正直、病院にオーラソーマのボトルを置くことができても、
看護師の傍ら片手間にオーラソーマをやっていることも
すごく納得がいかなくて、もどかしくて
看護師をいったんやめようかとも思っていたくらい。
オーラソーマを“知っている”看護師にしか
なれていない自分がほんとうにもどかしくて
悔しかった。
どこか本業看護師、副業プラクティショナーのような、
そんな中途半端な名前だけの感じ。
グレーゾーンにもなれていない私がいて、
“全力でやって来たのになあ”と思っていました。
でもコース中、私の3、4本目の
月と太陽のボトルを見て言ってくれた
「私にはどっちにも見えます!」という言葉のおかげで
“どっちにもなれる自分”になろうと思えました。
どちらかではなく両方。
それが今の私だということを
ボトルが教えてくれていたのだと
あらためて気づかされました。
月と太陽。
同じ光の象徴で、大きな輝きを持つもの。
輝き方が違う、ただそれだけなのだと。
月のように暗闇を照らし、
夜空を星たちの輝きを導くように
一点の大きな光になることも太陽のように
煌煌と自分自身の輝きを世界に降り注ぐことで
誰かの輝きを目覚めをさせることもできる。
自分が使いこなせさえすれば月にも太陽にもなれる。
看護師とオーラソーマ、どっちも本業でいい。
どっちかだけじゃダメで、片方だけじゃ形にならない。
両方に同じ熱量があって、50%:50%ではなく、
100%:100%でよくて
それがきっと私のスタイルなのだ。
1本目のボトルに喝を入れるように語りかけられていた
“本気で生きろ!”は、ここから本気でそれを生きろよ!
そういうことだったんだね。
毎日全力で生きてきたし、駆け抜けて来た。
でも、命を燃やして本気で生きて来たかと言われたら
それはちょっと違った。
まだ甘えがあって、まだ手加減して
どこか様子を見て、どこかビビってて。
だからこそ、この2022年の今年、
再誕生した新しい私で、
ここからは私を本気で生きていこう! と
光さす道を見つけられた
そんな年はじめのコースになりました。
今年もいっぱい輝くぞー!!
高橋光希 記
高橋光希(たかはしみづき)プロフィール
中学1年のときに亡くなった祖父がお世話になった看護師さんの姿を見て看護師を志し、神奈川歯科大学短期大学部看護学科卒業後、現在まで看護師として働いています。
オーラソーマと出会ったのも中学生。
当時、叔母がオーラソーマを自宅サロンでやっており、キラキラした物があるからと招待してもらい、コンサルテーションを受けたのが出会いでした。
オーラソーマのコースをはじめて受けたのは高校3年生の時でした。
そこからこのシステムの素晴らしさを学び、知って体験していくうち、「いつかオーラソーマを医療現場に届けたい」その思いが、私がオーラソーマを学んでいく理由になりました。
今は看護師のかたわらオーラソーマを使って、身近な人方のケアを少しずつしています。
クリスタルのコースなどもいくつか受講し、クリスタルとボトルと繋がるワークが私はいちばん好きで。
オーラソーマの“自分を思い出したい人いらっしゃい”
私もこの言葉に導かれたひとり。
奄美大島の海を泳いでるとき、ふとヴィッキーさんからそれを言われた気がしました。
これから多くの人に、オーラソーマを目にして、知って、そして自分の輝きを通してその人がその人らしく輝いて生きていく。
そんな世界になることを願って、このオーラソーマを私は医療現場を通して広げていけたらと思います。
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