ヴィッキー・ウォールとオーラ・ソーマの霊に捧ぐ・3
ここで、コマラさんが撮影してきてくれた「ヴィッキーさんの木」の写真をご紹介
リヴィングエナジー6号にて、たくさんのデヴオーラの写真が掲載されております。 是非、見てみてくださいね☆ http://artbeing.com/book/LE06.html
では、ドミニク先生のお話の続きをお楽しみください☆
————————————————————— ヴィッキー・ウォールとオーラ・ソーマの霊に捧ぐ その3 「下積み時代」(2003年7月)
●初めのころ
まだこの時点では、カラー・コンビネーションの可能性ははっきりしていませんでしたが、ヴィッキーはマーガレットにそれには何の害もないと保証しました。 これらのボトルの魅力的な色と目を引く質に説得されて、二人はまもなく自分たちが参加することになっている博覧会に持っていくためにもう少し作ることにしました。 彼女たちはすでにヴィッキーが多年にわたって作ってきたクリームを持っていって売ることにしており、そのブースに人目を引きつける役をそのボトルがするだろうと考えたのです。 それがどれほど魅力的であるかを二人はまだほとんど知りませんでした。
最初から人々はその色に引きつけられました。 最初のお客さんの様子は実に意味深く記憶に値するものです。 セットアップが終わるとすぐにひとりの男性がやってきて、それらのボトルを見てある一本のボトルに引き寄せられました。 それはガラスの陳列板を支えるためにディスプレーの下に置かれていたボトルでした。 それがそこに置かれたのは、いくぶん曇っていたので、ヴィッキーとマーガレットがそれは他のボトルよりも魅力がないだろうと思ったからです。 しかしその男性が欲しがったのはそれだったのです。 二人はそれを取り出すために陳列したボトルを下ろし、それに惹かれた男性はそのボトルを買って立ち去りました。
このことからヴィッキーとマーガレットは、なぜ人によっては最善のカラーサンプルではないものに引きつけられるのか、という疑問意識を抱きました。 続く何日か、たくさんの人がやってきてはボトルを買い、ヴィッキーとマーガレットはそれらのカラー・ボトルがどのように人々に働きかけるのかについて学び始めました。
二人は、濁ったボトルに引き寄せられる人々は、一般的に、そのときその人たちの生活が普段とは違った変化の時にある人であること知りました。 二人はまた、オイルを自分の身体に塗った何人かの人たちからのフィードバックも受け取り始め、その人達の状況に変化が起こったことも知りました。 ヴィッキーとマーガレットは医療の領域で訓練を受けており、その仕事をしてきたので、このことに特に興味を持ち、どの色のコンビネーションがどのような条件に役立つのかという予測をし始めました。 ある意味でこの調査は彼女たちのトレーニングと経験の所産です。 しかし最初から、オーラ・ソーマがスピリットの贈り物であることははっきりしていたので、二人は間もなく魂のセラピーという言葉を造語しました。 身体と感情とマインドとは、時間を通じた進化の旅で、時空を旅していく魂にとっての体験の領域にほかなりません。 まもなくオーラ・ソーマが物理的なツールではなく、霊的なツールであることがはっきりしてきました。
オーラ・ソーマは急速にヴィッキーをマーガレットの生活を巻き込んでいきました。 これらのボトルは単なる売り物以上のものになりました。 ヴィッキーにとってそれは、彼女の天賦と才能を分かち合うことができる手段でした。 彼女は間もなくそれらを「魂の窓」として語り始めました。 コンサルテーションの手順はクライアントが(当初は)3本のボトルを選び、このボトルからその人達の魂の色、この生涯での魂の旅、また非常にしばしば過去世との共振によってヴィッキーが受け取ったものを分かち合う形に進化し始めました。 ヴィッキーとマーガレットはオーラ・ソーマについて教えてほしいという招待状を受け取り始め、またヴィッキーはもっと公式の形で情報を分かち合うように求められました。 1985年の夏、二人はグラストンベリーの近くに住む夫婦からそのような招待を受け取りました。
●マイクとクローディアが参加
彼らの出会いの物語は面白いです。 1985年の晩春、マイクとクローディア夫妻はモールヴァン(イングランド西部のヘレフォードアンドウェスター州のモールヴァン丘陵の東斜面にある保養地、毎年演劇祭が開催される)の博覧会で、あるマンダラ絵画の展示をしていました。 客の合間に二人は植物やクリスタルなど自然素材の合成色によるヒーリング・システムの可能性について話していました。 クローディアはブースを離れて博覧会場をぶらつき始めたのですが、じきに興奮して戻ってきました。 彼女はその会場でちょうど今二人が考えていたその色のヒーリングシステムを展示しているのを見つけたのです。 マイクはすぐには見に行きたがりませんでしたが、しばらくしてそれを一目見に出かけました。 そのシステムの責任者が盲人の女性だと聞いたので、誰かと熱心にカラーボトルについて話をしていた白い服のその年輩の女性が、突然その会話を中断して、彼の方に振り向いてまっすぐ彼を見つめ、
「会場のエネルギーが酷いのよ。あなたなんとかしていただけます?」
と言ったときには非常に驚きました。 思わず引き込まれ、何とかしましょうと言って、彼は会場の四隅に行って、屋内にいいエネルギーを招き入れました。 それから彼は、何よりも好奇心に駆られて、その老婦人のところに戻りました。 彼が近づくと、再び彼女は彼の方を向いて
「ずっと良くなりましたよ。私たちは一緒に仕事をすることになりそうね」
と言いました。
これが、マイクとクローディアのオーラ・ソーマの物語への登場場面です。 ヴィッキーとマーガレットは1985年9月に彼らの家に行ってオーラ・ソーマを 贈り、それから間もなく、マイクがヴィッキーとフルタイムで仕事ができるように、マイ クとクローディアはロンドンの町はずれに引っ越しました。 この場合のフルタイムというのは、一週間に七日の意味です! この強烈さは、この5年半後の1991年1月にヴィッキーが他界するまで終わることはありませんでした。 またその後もその強烈さは終わらず、仕事の内容は変わっても集中度はそのままでした。
私がひとりの若者としてオーラ・ソーマに参加したのは、このマイクとクローディアの家でのコースで、1985年の9月のことでした。 当時私は大学での学業を終えたばかりで、台頭しつつあったニューエイジの分野で自分の道を模索していました。 実際私は、ある博覧会場の展示を見てオーラ・ソーマについて詳細を問い合わせ、偶然電話に出たヴィッキーと話したことがありました。 ヴィッキーは、たくさんの人にそう言っていたと思いますが、
「これはあなたがわたしに辿り着いたというサインね。あなたは次の展示会のコンサルテーションに来なくていけないわね」
と言いました。 私はちゃんと登録したのですが、ヴィッキーのコースが満席で、別の講師でした。 とはいってもオーラ・ソーマに一歩近づき、そのセッションの結果、私は9月のヴィッキーのコースに登録できました。
しかし私が辿り着くには、もうひとつハードルが残っていました。 当時借りていたところはコース会場から7マイルも離れていたため、車を持っていない私は午前10時に始まるコースに出るためにとても早く出発する必要がありました。 私が到着すると、正門のところでマイク・ブースが迎えてくれ、握手をしてイベント会場に連れていってくれました。
明日に続く。。。
ドミニク 記 (ぱりさん 翻訳)
ドミニク・ヨーマン氏のHPはこちら↓ http://sites.google.com/site/bringingcolour/home
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