ヴィッキーさんのボトルのメッセージ:感受性による平和の深みからのコミュニケーション
メインテーマ:自分で撒いた種は、自分で刈り取る。ダルマの理解、私たちが何をするかではなく、自分のしていることをどのようにするかが違いを作り出す。
アファメーション:私は、私のすべての行為、あるいは何も行わないことの中で、私の内側から内なる質が表われるのを許します。
今回のボトル、88番のボトルの名前はジェイドエンペラー(翡翠の皇帝)
ヒスイは中国などで皇族の宝石として大事にされ、玉とも呼ばれています。
英語ではジェイドと呼ばれ、スペインの征服者が、メキシコに侵入して、略奪したジェイドに名づけた呼び名の最後の語からきていると云われているようですが、マヤの文明とも関連しているようです。
ヒスイの色はグリーンが基調で、ハートの色ですね。
グリーンがオーラソーマではどのような意味を持つかについては、ここに詳しく説明されています。
http://aura-soma.co.jp/intro/color_language/green.html
この88番のボトルは、ちょうど3番のブルー/グリーンの上下が逆になっています。
3番はハートのチャクラのボトルですね。
https://artbeing.com/aura-soma/equi/B003.html
ハートのグリーンの色からすれば、グリーン/グリーンもハートのボトルです。
https://artbeing.com/aura-soma/equi/B010.html
このボトルは、タロットでは運命の輪の第1のレベルになっているのは面白いですね。
http://artbeing.com/aura-soma/reading/tarot-10.html
というのは今回のボトル、88番は、運命の輪の第2のレベルになっています。
http://artbeing.com/aura-soma/reading/tarot-88.html
となると、今回のテーマは、ハートとグリーン、そして運命の輪、ということになりそうです。
ハートに関しては、これまでにもいろいろ書いてきましたので、ここでは詳しくは述べませんが、ハートのスペースというのは、すべての基礎でもあり、それがすべてとも言えます。
というのは、ハートを通してすべてが起こっていくし、またハートなくして物事を行っても、誤ったふうになってしまいがちだからです。
例えば、知性を使うにあたっても、もしそこにハートが無ければ、無慈悲な批判になり、人を傷つけたりもしてしまいますが、そこにハートがあれば、明晰な知性は愛とともにその人を助けることができるからです。
今の社会ではすべてがマインド、頭でさまざまなことを考えたり、理解したりしていますが、そこではハートで感じることが忘れ去られていることが多いですね。
ハートがどこにあるのか、ハートの感覚ということが忘れ去られています。
そうしたときには、このハートのボトル、3番でも、10番でも88番でも、あるいはグリーンのポマンダーでも、実際にハートのあたり、胸の周りにつけて感じてみるといいのです。
https://artbeing.com/aura-soma/pom/P10.html
ハートは頭で理解しようとしても、頭では理解できないことなので、実際にハートを感じてみることでしか始まらないのです。
そこには量子的飛躍があるわけなんです。
OSHOは「マインドからハートへ」ということが瞑想の第一歩であり、そのあとは自動的にものごとが起こっていく、というふうにも語っています。
ハート瞑想に興味がある人は、ハートのガイド瞑想なども助けになるでしょう。
https://unityinstitute.jp/books#cd
ハートにいるということは、「今ここ」にいることであり、それがすべてでもあります。
ハートは4番目のチャクラであり、グリーンで表されますが、どうしてヴィッキーさんはハートのボトルとして、3番のボトル、ブルー/グリーンのボトルをハートのチャクラのボトルにしたのでしょう?
オーラソーマのチャクラセットのボトルは、そのチャクラの本来のバランスをとることを目的としています。つまり、そのチャクラ本来の波長を調整するためなのですね。
そうしたときに、その上の色の波動も一緒に取り入れることが有効だということのようです。
第1チャクラや第3チャクラのボトルも、第1チャクラのレッドや第3チャクラのイエローだけではない色が含まれているのは、そういう意味があります。
88番のボトルに対応するタロットは運命の輪、ということです。
「運命の輪」とは、なんでしょう?
カルマの法則、と西洋では言っていますが、簡単に言えば、因果応報、ということです。
原因と結果の法則。自分のまいた種は自分で刈り取らなければならない、ということです。
「天網恢恢疎にしてもらさず」という言葉があります。
これは、「天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応え、召さずして善く来たり、ぜん然として善く謀る。天網恢恢疎にして失わず」(『老子』第七十三章)
というところから来ているようです。
「天の網はあらくておおまかのようであるけど、実際は水ももらさぬほどに緻密に造られている」というような意味です。
私の敬愛する道元禅師も「修証儀」のなかで、因果応報の道理はごうりもたがわず。
つまり、寸部も違うことは無いと書かれていますし、「正法眼蔵」にも「諸悪莫作」という章があります。
それは「諸悪莫作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教」 (法句経) 「しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう」
という言葉から来ていますが、諸々の悪をなすことなく、衆々の善を奉行し、自らのこころを浄める、これ諸
仏の教えなり。
どういうことかというと、これは七仏通戒の偈という教えで、仏教は仏の教えであるとともに、仏となるための教えですが、仏となるためにはどうすればよいのかと問われたときに、
悪いことをしてはいけない、善いことをしなさい、そして自分の心を浄めなさい、これが諸仏の教えである ということなんですね。
それって、あたりまえのことだと思いますよね。
でも、あたりまえのことが、当たり前にできないので、いろいろ悩みを作りだしたりしているわけです。
道元禅師は、「正法眼蔵の諸悪莫作」の巻に次のような問答を書いています。
白楽天が道林禅師に参禅しときに、「仏法の大意とはどういうものでしょうか」と問うたところ、道林は「諸悪莫作 衆善奉行」と答えた。
白楽天は「そんなことなら、三歳の童子でもそう言うでしょう」というと、道林禅師は「たとえ三歳の童子が言い得ても、八十歳の老翁も実践することはむつかしい」と答えたので、白楽天は礼拝して去った。
運命の輪というのは、結局は、今の自分と自分の環境は、自分で作りだしてきていることだ、ということです。
でも同時に、これからの運命も自分で作りだしていくことができる、ということでもあります。
グリーンは、木のグリーンでもあり、木の年輪をも表すので、「時間」とも関連しています。
そういう時間軸の運命に関しては、これらの因果応報の道理が作用するので、それから逃れることはできないのですね。
それは過去生をも含んでいるのですから。
だったら、今幸せではない人は、いつになったら幸せになれるの? と思うかもしれません。
これまでの過去を浄化するために、ホワイトやセラピスベイを使わないといけないのかしら、と思うかもしれません。
https://artbeing.com/aura-soma/recommend/59.html
そういうエネルギーを浄化するようないろいろな方法もありますが、もっと簡単な方法もあります。
それは時間を超越してしまうわけです。
時間のない世界にいく。
それってどうすればよいの? と思いますよね。
いちばんシンプルな方法は、ハートのなかに入ることです。
なぜなら、今ここ、には時間はないからです。
ハートのなかでは、あなたは運命の輪のなかにいながらも、それらを超越した空間にいることもできるのですね。
えたに 記
☆B088 Jade Emperor(翡翠の皇帝)のボトルは、こちらに詳細が掲載、ご購入いただけます。
https://artbeing.com/aura-soma/equi/B088.html