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ヴィッキーさんのボトルのメッセージ:光と霊感が物質世界に入る
メインテーマ:犠牲的な愛の発達
アファメーション:私は愛として身体の神秘に目覚めます。
キリストはあまりにも有名ですね。
ウソかまことか知らないのですが、ある教会の牧師が、このボトルのことを知り、キリストをこんなボトルに閉じこめるとはけしからんと怒った・・・というような話しがあるとか。
オーラソーマはアラジンの魔法のランプではないので、このボトルをこすれば「あーら不思議! キリストが現れます」ということではありません。
あるいは、このボトルを身体に塗るとキリストが癒してくれるとか、あるいは聖書を読むかわりにこのボトルを塗っておくといいとか、そういうことでもありません。
それなら、このキリストのボトルってなんだろう? と思うかもしれませんね。
50番から64番のマスターボトルのシリーズは、その色のエッセンスを現しています。
マスターの名前は、そのエッセンスを読み解く鍵です。
ですから、このボトルはキリストの意識を現しているということになります。
では、キリストの意識とはなんでしょう?
キリストというと、全人類の罪を背負って十字架に磔にされたというような、教会的なイメージが強いですが、そういうことではありません。
なぜキリストが磔にされたのかを考えてみると、深い人間心理が隠されているようで研究テーマとしては興味がありますが・・・。
ある意味、それはこのボトルのテーマにも関連するかもしれません。
ヴィッキーさんは、キリストのボトルのメッセージとして、「光と霊感が 物質世界に入る」と書いています。
ユダヤの伝統的な家庭で生まれたヴィッキーさんですので、このボトルが生まれたとき、どういうふうに思ったのだろうと想像したりもしますが、その答えがこのメッセージなのです。
クリヤー/レッド。
クリヤーの上の部分が光と霊感を表し、下のレッドが物質世界を表します。
つまり、ここでいうキリストとは、光と霊感がその肉体に宿った存在であり、光の意識を生き、メッセージを伝えた人なのです。
つまり彼のメッセージは、レッドに象徴される、「目覚めよ」ということです。
では、なにに目覚めるということなのでしょう?
それは人間というのは単なる肉体ではなく、感情でもなく、マインドでもな く・・・純粋な光、気づいている意識、目撃している意識であるということです。
人間は、なぜ苦しむのでしょうか?
その苦しみの根本は無意識、無明のなかにいるからです。
自分が肉体であり、感情であり、マインド、欲望、そういうものだと思って、それに執着し、とらわれているから苦しみがあるのだと仏陀は言っています。
人間には生老病死をはじめとする四苦八苦というものがあり、それらを明らかに見る、諦めることにより、その苦しみを解脱する方法を説きました。
でも、人間はその苦しみが自分だと思っているのです。
それを作りだしている肉体、感情、欲望やマインドが自分だと思っているので、それを手放したくないのです。
それを手放してしまうと、自分が誰なのかわからなくなってしまいますから。
だから目覚めたくないのです。
眠っているときに起こされるといやですよね・・・もっと眠っていたい。
無意識のなかで心地よく眠っているのに「目覚めよ」なんて言われてしまうと、その人を排除したくなります。
それで人々に目覚めることを説いた多くの覚者が民衆に殺されました。
キリストだけではないのです。
ソクラテスも毒殺されましたし、我は神なりと言ったマンスールなどは、みんなの見ている前で八つ裂きにされて殺されてしまいました。
西洋ではそういうふうにして多くの覚者を殺しているのです。
魔女狩りなんかもその傾向のひとつです。
でも、日本には別の伝統があります。
それは「禅」です。
禅マスターは、そういう目覚めた人でもあります。
自分は、この人生で目覚めたいのだろうか、それとも、このまま眠っていたいのか。
オーラソーマに興味を持つ人は、ある意味、そういう光の可能性に目覚めつつある人だとも言えるかもしれません。
オーラソーマは色と光をもたらすことで、ゆっくりとやさしく、目覚めの可能性に気づかせてくれるのかもしれないですね。
このボトルは、その可能性を伝えてくれるマスターのメッセージです。
タロットはスォードの10。
生命の木は10番目のスフィアである、マルクト。
えたに 記(2005,8/03)
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