http://artbeing.com/aura-soma/equi/B046.html
ボトルの名前はワンダラー、放浪者。
この名前から、みなさんは何を思い浮かべますか?
私もあるとき、放浪していた時期がありました。
・・・と過去形のように書きましたが、書きながら、いや、実はまだ放浪しているのかもしれない、と思います。
そこで、どういうわけか思い浮かんだ言葉が、『方丈記』のなかの一句。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
ある意味、人生というのは、川の流れに浮かんでは消える泡のようなもので、永遠ではないのですね。
それは人の命も、住処も、すべてがはかないものなのだ・・・というような無常観を言い表しているようです。
そうすると、人は永遠なるものを求めるのです。
オーラソーマでは「魂というものは永遠だ」と考えているかもしれません。
1本目に選んだボトルの下の色は、過去生から今の人生に持ち運んできている本質を表す、と考えますから。
でも、その魂も、この人生に生まれてきたのはどうしてなのだろう? と考えると、魂も放浪して、今の人生に生まれてきているんじゃないの? ・・・と思ってしまいます。
そして、この人生に生まれてきても、やはり放浪を続けるわけですね。
何を求めて?
私たちは、何を求めて放浪しているのでしょう?
私たちは・・・って、自分のことをみなさんに投影してしまいました。
「私、放浪なんてしていないわよ」と思う人もいるでしょうから。
でも、よく考えてみてください。
あなたは何をしに、この人生に生まれてきているのでしょう?
「別に人生に目的なんてないわ」というのもひとつの考え方ですね。
人生に意味はない。
人生に意味をつけるのは、その生きている本人でしかないのですからね。
でも、その意味を求めて放浪したりもするのです。
私も何か、生きる意味というか、真理のようなものを求めて放浪したわけです。
最初は本のなかで放浪しました。
いろいろな本を読み漁ったわけです。
どこかに真理が書いていないかと思って。
それではらちがあかないとわかったので、禅にのめりこんだりもしました。
でも禅って、やはりマスターを求めるってところからはじまるのですね。
というか、いろいろなマスターを求めて放浪するといった伝統もあります。
それは真理を求めた放浪であり、そのために真理を実際に会得しているマスターを求める旅でもあるわけです。
というわけで、私もインドに放浪したわけで・・・
でも、マスターに会ったからといって、それで真理を得られるわけではありません。
だって、真理はマスターにあるわけではないのですから。
マスターが言うには、「あなたが求めている真理は、自分の内側にあるから、自分の内側を求めなさい」ということです。
インドまで行って、結局は、真理は外側のどこを探しても見つかることはなく、今、ここで、あなたの内側にある・・・ということです。
というわけで、瞑想にたどりつくわけですが・・・
でも、オーラソーマを知ったあなたは、インドまで行く必要はないのです。
ヴィッキーさんは教えてくれています。
「大いなるガイド、真理は、あなたの内側にあります」
というわけで、このボトル、ワンダラーは、あなたに何を伝えてくれているのでしょう?
下にあるマゼンタの色は、宇宙の愛、神聖なる愛。
それはあなたの内側に、すでにあるのだということ。
人は愛を求めても放浪しますよね。
愛はボーイフレンドのなかに、ガールフレンドのなかにあると思って、男性は女性を、女性は男性を求めて放浪したりもします。
でも、あなたの求めている愛は、すでにあなたが生まれたときから、あなたの内側にあるのです。
あなた自身がすでに宇宙の愛のなかから生まれている、ということです。
上にあるグリーンはハートをあらわします。
真理は、愛はハートを通して求めることができます。
マインドを通しては見つけることができないものなのです。
その愛を内側に見いだすことが、愛への新しいはじまり。
そして、その内側に見いだした愛を、ハートを通して表現していく。
そのような愛の放浪の道を、このボトルは語ってくれているようです。
さて、あなたは、どのような放浪をしているのでしょう?
えたに 記(2006,3/15)
☆B46 The Wanderer(放浪者)のボトルはこちらに詳細が掲載、ご購入いただけます。
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