B081 Unconditional Love(無条件の愛)その3

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ボトルのメッセージ:思いやりと理解、愛と自己受容の必要

メインテーマ:自分と他者への最上の慈悲、思いやり、暖かさ、愛。

アファメーション:私はなりたい自分ではなく、ありのままの自分自身を愛します。

81番のボトルのメッセージは無条件の愛。

愛って、そもそもなんなのでしょう?

いろいろな愛がある、という意味においては、それぞれの人が、それぞれに愛していて、それぞれの愛を体験しているのだと思います。

親子愛、恋人同士の愛、夫婦の愛、兄弟愛、家族愛、人類愛、博愛、慈愛、師弟愛、宇宙の愛、母親の愛、父親の愛・・・

でも、ほんとうの愛ってなんなのでしょう?

ましてやピンクの無条件の愛・・・

そういう愛を、ほんとうに体験したことってありますでしょうか?

もし、愛を体験したことがなければ、愛を言葉で説明することもできなければ、言葉で理解することもできません。

私が知っているかぎりでは、そういう愛を語ることができる人は、OSHOしか知りません。

ほんとうにそういう愛を知っていて、しかも実際に、そのように愛することができる人。

だから、愛について語るとしても、私はOSHOの言葉を借りるしかないのです。

OSHOは語ります。

「愛とはなんだろう?

もし愛を私の目のなかに、私の腕のなかに、私の沈黙のなかに感じられなかったら、そのときには、私の言葉から愛を理解することはけっしてできない」
 
愛は、感じることによってしか知ることはできないし、愛することによってしか学ぶことも、知ることも、愛することもできないのだと思います。

それは、ちょうど泳ぎを学ぶようなもので、理論を学び、畳の上で泳ぐ動作をして学んでも、実際に泳ぐには、実際に海やプールに入って泳ぐことでしか学べないのと同じです。

だから試行錯誤のなかで愛していくことでしか、愛については知ることができないのです。

以上を前提とした上で、オーラソーマのピンクの愛というテーマについて、色の言語を手がかりに考えてみましょう。

まず、ピンクレッドクリヤーの光が入った色ですね。

レッドのボトルは6番です。



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そこにクリヤーの光が入ります。クリヤーは54番のボトルです。



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このクリヤー、意識の光は、マスターボトルのすべてに含まれている光です。

なぜなら、マスターというのは覚醒した意識、クリヤーの光だからです。

そのレッドに、クリヤーの光が入っているボトルは55番のキリストのボトルです。



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これを振って混ぜるとピンクの色、81番のボトルになります。



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さらに光が入ると、ペールピンクピンクがさらに強められたマスターボトル、レディナダとなります。



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ですから、ピンクの愛を知るには、まずレッドについて知ることが必要であり、さらにクリヤーの光、つまりマスターの意識から見た、愛とは何か、ということを知る必要がありますね。

それは、どのマスターであってもいいのですが、たまたま私が知っているマスターとしてのOSHOの言葉を手がかりに、愛とはなんだろう? と考えているわけなのです。

そして前回では、OSHOは「レッドを神聖なものとして受け容れなさい」ということでした。

それは、私たちは性を認め、それを理解しなければならないということでした。

なぜなら、それは基本的な生の力であり、人間の内部にある自然なものだからです。それを抑圧し抑制することは、生きていくための基本的なエネルギーを抑圧することになるからです。

そして、そこにエゴの壁があるかぎり、愛することはできない、ということでした。

そのエゴ、“私”を消すためにはどうしたらよいのか、ということが、そこでの問題でした。

でも実際には、愛について感じたことがなければ、どんなに言葉で愛について考えても、理解することはできない、とも言います。

とは言っても、OSHOの言葉は、愛を指し示す道標にはなってくれるでしょう。

OSHOは語ります。

愛は空からのみ生まれることができる。

虚空のみが、他の虚空と溶け合うことができる。ゼロのみが、別のゼロと全体的にひとつになることができる。

二人の個人ではなく、二つの真空だけが出会える。なぜなら、もはやそこには障害がないからだ。ほかのすべては壁を持っている。真空は何も持たない。

だから、憶えておくべきことの二つ目のことは、愛は個体性が消えたとき、“私”“他人”がもうそこにないときに生まれる。そのとき、そこに残るものが何であれ、それがすべてだ。

それは無限───。だが、“私”はいない。その達成とともに、あらゆる障害はこなごなにくずれ、長いあいだ用意して持っていたガンジス河の激しい流出が起こる。

私たちは井戸を掘る。水はすでにそこに、内側にある。

別のところから運んでくる必要はない。私たちは、ただ土と石を掘りおこし、それらを取り除くだけだ。

私たちがやることは、正確にはどういうことだろう? 

私たちは空を創りだす。そうすれば内側に隠されている水は、そのなかへと流れていける空間、それ自身が姿を現すことのできる空間を求める。

それは空・・・。

得ていないものを激しく求める。そうすれば、それは出てくることができる。外へ飛び出すことができる。もし井戸が砂と石でいっぱいだったら、砂と石を取り除いた瞬間に水は湧き上がる。

同じように、人間は愛に満ちている。だが、愛は表へ現れてくるための空間を必要とする。

あなたのハートと愛が“私”と言っている限り、あなたは砂と石がつまった井戸だ。そして、愛はあなたのなかであふれることはない

「セックスから超意識へ」(めるくまーる出版)

http://amazon.co.jp/o/ASIN/4900612014/oshoartunity-22/ref=nosim


ここでは、OSHOは、愛はすでにそこに、「内側に」あると言います。

ただ土や石(エゴ)を掘り起こして取り除くだけでよい。

それを取り除くと、愛はあなたのなかで自然にあふれ出る、と言っているのです。

では、土や石を取り除くにはどうすればよいのでしょう?

それが「瞑想」なのです。

では、それはどのように可能なのでしょうか?

そこで、OSHOは「超意識」を達成するための道、ということについて語っています。

それは、また次回に続きます。

えたに 記

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