タロットはペンタクルの6(Seven of Pentacles)
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前回、荘子について書いたときに、このタロットの絵について説明する時間が無くなってしまったので、今回はこのタロットの絵について説明しておきます。
このタロットには、荘子が蝶になっている絵が描かれていますね。
これは『荘子』斉物論篇の「胡蝶の夢」の話を絵にしているようです。
それは、こういう話です。
昔ある春の日のこと、私、荘周(そう・しゅう)は、夢のなかで蝶になって、ひらひらと花から花へと飛びまわっていた。まったく蝶そのものになりきって。
私は自分が周であることなどには気づかず、蝶そのものの幸福感に酔っていた。
と、突然その夢のなかの蝶が目を覚まし、すると夢見る前の私自身にもどっていた・・・。
そこで荘子は、わからなくなったのです。
果たして人間の私が夢のなかで蝶になっていたのか。
それとも、蝶である私が夢のなかで人間になっている夢を見ているのか??
もし、そうだとすると、今、自分は人間で、荘子だと思っているが、でも、実は、それは蝶である私が夢を見ているだけなのかもしれない?
はて、私は人間なのか蝶なのか?
このお話を読んで「そんなの決まってんじゃないの、人間でしょ!」って思いませんでしたか?
でも、本当にそうでしょうか?
あなたは自分のこの肉体が自分自身だと思っていませんか?
自分の感情は自分の感情だと思っていませんか?
自分の考えは自分のものだと思っていませんか?
ほんとうにそうでしょうか?
何かに追いかけられて、必死に逃げている。
でも身体が動かない・・・もうこれ以上逃げられない「助けてっ!!!」と思ったときに、汗びっしょりになって目が覚めた、という経験がありませんか?
そのときの夢って、ほんとうにリアルで、目が覚めたときは、ホント「助かったー」と思いますよね。
でも今、目覚めている自分って、ほんとうに目覚めているのでしょうか?
実は今も夢見ていないっていう保証はあるのでしょうか?
実際、私は夢から目覚めて「良かった」って思っていたら、それが夢だった、という経験があります。
実際、目覚めた人、仏陀は「あなたが人生だと思っているものは、幻想、夢幻でしかないよ」と言っています。
夢のなかで悲しみに出会い、嘆き苦しんでいたとしても、ひとたび目覚めると、一瞬にして、その悲しみは夢だと知り、その瞬間、悲しみはなくなってしまいます。
人は、夢のなかにいるときには、自分が夢を見ているとは気づかないんですね。
目覚めてはじめて、それが夢だった、ということを知ります。
そして真の目覚めがやってきたとき、実はその人生そのものが、はかない夢だったことに気づくわけです。
真の自己に目覚めない限り、この人生は夢のようなものにすぎないと、このボトルは教えてくれているのかもしれませんね。
このボトルの上の色はゴールドであり、知恵を表すと同時に、真の自己を表します。
真の自己に目覚めるということが、このボトルのテーマでもありますね。
サトルアナトミーの図を見ると(これはオーラソーマのコースを受講した人向けですが)、マゼンタのエネルギーが、ターコイズのアナンダカンダ(私は誰? という問い)を通って、ハートのエメラルドに入り、そこからゴールドの領域に下りてきます。
それは、自分は誰か? というハートからの問いを通して、真の自己に目覚める、ということでもありますね。
それは今まで、これが自分だと思っていた自分のアイデンティティのタマネギの皮をむいていったときの中心にあるものに目覚めることです。
いろいろな自分がいても、そんな自分に深刻にならずに笑えること。
笑えることは、その自分に同一化していないということでもありますね。
アファメーションは『幸せな人とは、自分のことを笑える人です』
というのは、このことを教えてくれます。
自分は父親であったり、母親であったり、いい娘であったり、できの悪い生徒であったり、賢かったり、会社員であったり、さまざまなアイデンティティ、「これが自分だ」と思っている自分がいるわけですが、ほんとうの自分は誰なのだろう? ということの究極の問いがここにあるんですね。
あなたは、そこに何を見いだすのでしょうか?
そのひとつの答えが、前回に書いたことのテーマでもありました。
B073 Chang Tsu(荘子)
えたに 記
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