カラーローズ――補色の論理

「ブルー」「イエロー」「レッド」と、色の心理も少し続きましたので、ちょっとこのへんで別の風を入れてみようと思います。

前にも書きましたが、わたしは縁あって“たまたま、文字を通してだけオーラソーマと付き合ってきた”という、かなり変則的な立場の人間です。

オーラソーマに自ら惹かれてくる方々は、最初はあの美しいボトルの印象から入るでしょうから、感性的というか感覚的というか、どちらかというと感受性の発達した方が多いのではないかと思います。

そこへいくと、わたしの場合は、感受性は(おそらく)いまいちで 、どちらかといえば論理性の方にシフトしている人間かと思います。

でもご存知のように、「オーラソーマ」には感覚的センサーに働きかける側面と、論理的センサーに訴える側面の両方がありますよね。

そのためでしょうか、たぶん、かなり論理側に偏っていると思われる人間にも、「オーラソーマ」はなかなか面白いところがあります。

「カラーローズ」“色の心理”を推測して楽しめるのも、“配置の客観性”を使って、連想を論理的に敷衍、展開できるからだろうと思います。

これまで“色の心理”の連想を楽しんだ「ブルー」「イエロー」「レッド」は、三原色でした。

いわば、色彩という世界の最初の“地取り”のようなものです。

だから、ひたすら「無」から新しい色を「創造」する“心理のダイナミズム”だけを頼りに展開する必要がありました。

強引に“心理だけを根拠に”「現象世界の基盤」作りにトライした、といった感じがあります。

でも、いったん現象世界を構築・展開する足場ができてしまうと、今度はそのできあがった足場(=枠組み)に合わせる形で、“色の心理”を推測・展開できることになります。

容易に推測されるように、これはとても“論理的”な作業です。^^;

そこには“心理のダイナミズム”以外にも、全体の枠組みに調和させるための一定の“法則性”が働くはずだからです。

盥(たらい)のなかの水は、どんなに大暴れしても、盥のなかに収まっていなければならないようなものです。

枠組みの法則性を無視するものは、その枠組みのなかには存在できません。

盥のなかの水なら、大暴れして盥の外に飛び出すことができるかもしれませんが、その盥のなかが色彩世界の全体なのだとしたら……。

色彩世界を統べる法則性を無視する色は、色として存在できないことは明かです。

そしてその法則性の代表が「補色の論理」です。だと思います。

それで、自己流「補色の論理」をご説明する前に、「色の混合」について簡単に復習しておきますね。

色の混ぜ合わせ方には、「加法混色」減法混色という二つの方法があります。

たとえて言うなら、白い画用紙の上に、異なる色の“色セロファン”を重ねて置いたとき、その重なり部分に現れる色が「減法混色」です。

小学生のころ、はじめて絵の具を使った図画の時間に、いろいろ絵の具を混ぜていると結局黒くなってしまった、みたいなのが「減法混色」です。いろいろ重ねれば重ねるほど暗くなってしまいます。

それに対して、舞台に“色のスポットライト”を重ねて当てるみたいなのが、「加法混色」です。

“色のスポットライト”の足し算ですから、異なる色を足せば足すほど、それだけそのスポットに当てられる光量は増大します。

ご存知の通り、「オーラソーマ」光の混合(「加法混食」)の世界なので、黒(暗闇)は存在しない、というわけです。

だから、「カラーローズ」でもすべての色が集まる中心は「白」(=透明)になっています。


いろんな彩り(=個性)も、無意識にただ集めただけだと暗闇(=混乱)になってしまうというのは、なんだか象徴的で面白いですよね。

それぞれの個性が固有の色で輝くには、サットヴァの光が入らなければならないのかもしれません。

それはともかく、「カラーローズ」を統べる法則性の代表が「補色の論理」だと言いました。

「補色」というのは、「カラーローズ」の中心を通る直線の、両側に位置する色の関係であることはご存知ですよね。

たとえば、「レッド」の補色は「グリーン」「イエロー」の補色は「ヴァイオレット」「ブルー」補色は「オレンジ」などというわけです。


 

「補色」関係は相互関係ですから、むろん、「グリーン」の補色は「レッド」という言い方もできるわけですが。

「カラーローズ」での位置関係から明かなように、「補色」関係にある2色は相互に対極にあります。

“正反対の個性を持った色”ということですよね。

しかし、“正反対”というのは、ある意味でとても似たところがあるということでもあります。

一言で言うと、“ベクトルが同じで、極性が反対”ということになるでしょうか。

それはどういうことでしょうか?

上でも言ったように、「カラーローズ」の絵で確認すると……、


補色関係にある2色の間には、必ず「カラーローズ」の中心があります。

「カラーローズ」の中心は、光の混合の中心ですから無色透明です。

ということは、ひとつには、「補色」である2色が、相互に自分の個性(この場合、極性)を自己否定して中心に“近づけば”、(中心の)無色透明のところで相手と一致する、ということを表しているのかもしれません。

補色の両者が、自己否定して光の中心に近づけば……、相手を抱擁できる

そういう言い方もできるでしょうが、なんだか道徳の時間みたいで、ちょっとつまりませんね。^^;

むしろ、こういう、ちょっと“荒っぽい”言い方はどうでしょうか?

「カラーローズ」は光の混合、加法混食の世界です。

「補色」である2色とは、同時に共存(加法混食)したら、相互に相手の個性(極性)を相殺して、無色透明になってしまう関係なのだ、と。

この方が、ダイナミックで、逆説的な感じで面白いですよね。^^;

それは言い換えれば、「カラーローズ」とは、互いに相手の個性(存在意義)を無化してしまうような色(つまり心理)の対からなっている、ということですよね。

ちょっと、面白いと思いません?

しかも、「カラーローズ」では、その「補色」他の色との関係でどこに位置すべきかが、じつに明確に相互定義されているんです。

つまり、ある色(A)の補色(A’)は、その色(A)をひとつの頂点とする「カラーローズ」内の正三角形の、“他の2つの頂点(B)と(C)の中間”に位置するということです。

たとえば、ある色を「レッド」とすれば、その補色「グリーン」は、三原色のなかの「レッド」以外の2色(「ブルー」「イエロー」)の中間色になる、ということです。


これだけのことが、「カラーローズ」という体系の均衡を保つだけのために、すでに必要なのです。

「カラーローズ」は「色の言語」(色の心理学)のテンプレートです。

「カラーローズ」は全人間心理を網羅する“人間心理のカラーインデックス”だ、ということから話を始めたのでした。

ということは、「カラーローズ」を統べる内部法則に「補色の論理」があると知っていれば、もうそれだけで個々のインデックス・カラーの心理的意味は、かなり厳密に定義されてしまっている……、ということです。

それぞれの色が表す心理を推測するのも、けっこう、楽しいゲームになるかもしれません。

みなさんも、ちょっと推理を楽しんでみませんか。

ここで「補色の論理」と書いたものは、「カラーローズ」を眺めてのわたしの論理的推理です。

ある程度客観性があるような気もしますが、「オーラソーマ」の公式見解とどれくらい類似性があるかないか、わたしにはわかりません。

言うまでもなく、「カラーローズ」という「オーラソーマ」の素晴らしい発明に触発された、まったく自由な立場からの連想です。

公式見解ではありませんので、そのへんご了解ください。

お付き合いいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

pari 記
(初出『オーラソーマ通信』第178週号(2007,11/28)から編集)

 

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