色彩心理の図式「カラーローズ」:レッドの心理
前回は、森羅万象という顕現の世界を生みだすために、神の微睡(まどろ)みの名残りの色=根源色「ブルー」から、二元性に向けての大いなる第一歩である「イエロー」が飛び出したというお話をしました。
そして、
「見て、わたしは美しい!」
と言って、黄色のスポットライトの中に飛び出したのは、じつは、“あらゆる彩り”になりきった個々の視点そのものだった、と……。
それは、すべてが一体である「全体」のなかに、潜在可能性として包含され、安らぎ、微睡んでいた「部分」でした。
しかし、その「全体」のなかの「部分」が、どうしても自分を自分として体験したい、他には代えられない「個別」としての自分を顕現したい、認めてもらいたいと憧れたのです。
自分の“個別性”“固有性”を、つまりは自分を「個」として世界に宣言し、認めてもらいたかった。
でもじつは、この「イエロー」の意図には根本的な虚偽があったのです。
なぜなら、存在しているのは「じつは、自分ひとり」だったからです。
しかし、現れたいといというやむにやまれぬ“憧れ”のゆえに、ついに非顕現という絶対の平安から現れの世界に飛び出した瞬間、じつはひとりである自分のなかに、ある分裂が起こらざるをえませんでした。
ついに、分裂という虚構に向けての第一歩は踏み出されたのです。
「全体」のなかに「個別」がありうるというこの幻想を実現するために、どれほどの力業(ちからわざ)と、どれほどの対価が要求されることになるかなど、まだ想像することすらできなかったのでしょう。
しかし、すでにやみくもに「個別」の実現を求めて、二極への分裂の第一歩は踏みだされてしまったのです。
「見て、わたしは美しい!」
と。
まさにこの瞬間こそが“ゆらぎ”、伸るか反るかの瀬戸際だったでしょう。
猛烈な自負と興奮、不安とおののきのなかで、何がなんでも、すでに踏みだしてしまったこの一歩を裏付ける歩みを後続させなければなりません。
たとえ、虚構であれ何であれ、この期に及んでもう後戻りはできません。
しかし、どうしていいかはわかりません。
ただひとつはっきりしていることは、「もう引き返すことはできない……」ということだけです。
なにがなんでも顕現の世界のなかで「個別」を実現したい……。
ここで、現象世界の顕現を目指した「イエロー」の意図は、信じられないような蛮勇を振るい、途方もない“火事場の馬鹿力”を発揮します。
「一なるもの」の権威のなかに微睡む対極の光線「ブルー」にしゃにむにしがみつくと、そのまま相手と重さなりあったまま、ありったけの意図の重みをかけて、やみくもに未知のなかにもんどり打って倒れ込んだのです。(*_*)
このような死にものぐるいの策略によって、真のパワーの源泉である「光」の魔法は起動したでしょうか……。
そう、「イエロー」の必死の思いに応えるかのごとく、幻想の現象世界にまったく新しい光線「レッド」が誕生したのは、たしかにその瞬間でした。
その瞬間、物理次元という幻想の顕現宇宙にものすごい爆発が起動します。
いわゆる“ビッグバン”と呼ばれる現象です。
わたしたちの宇宙は、この爆発で誘発された意識宇宙の永遠の波立ちのなかに存在しているのだとも言えます。
このとき起こったことは、あとで幻想の顕現宇宙のなかでくり返し実験され、そのたびに観察者たちに新たな感動をひきおこすことになります。
英国にオーラ・ソーマのセンターがあり、デブオーラと呼ばれていますが、そこではガラス容器と非常に強い懐中電灯を使って、セミナーの中でこの光の実験が行われ、参加者に深い印象を与えています。ガラス容器の中に、後にバランスボトルに使用されるグリーンオイルを入れておき、そのあざやかな緑の液体の中に、強い黄色の光を当てます。黄色い光が緑の液体の中を通り抜けていくとき、とてもあざやかな赤が現れるのです。セミナーに参加した人たちは心から納得します。
『オーラソーマ ヒーリング』(p97-98)
「色の心理」のテンプレート「カラーローズ」に、「ブルー」と「イエロー」の二極を安定させる三番目の光線「レッド」が差し込んだわけです。
かくて、現象宇宙という幻想の顕現世界を永遠に安定させる三極の基盤は調いました。
さて、ところで……。
なにがなんでも「個性」を実現し、体験し、嘆賞しようとした「イエロー」の意図が、ついに現象世界に引きだした「レッド」の思いとは何でしょうか。
それは、実在する「一なるもの」の上に、「多様性」と「個性」の顕現を可能にし、安定させようとする強い意志だと言っていいでしょう。
いわば、「レッド」の運命的な役割とは、森羅万象の顕現を可能にし、安定させるための、不可逆的な駄目押しの一歩となることだったわけです。
「レッド」はその期待された役割を見事に演じなければなりません。
幻想の顕現世界を永遠に安定させるために、基盤の第三極「レッド」が宣言しなければならない意志とは何か……。
そのメッセージを示す言葉を、
「永遠に、わたしは生きる」
と表現してもいいでしょう。
だから「レッド」は、厳かに、そして見事にその意志を宣言したはずです。
でも、そのとき、この「レッド」の宣言のなかには、「一なる実在」の根拠の上に、なにがなんでも「個」という虚構を顕現させたいという「イエロー」から引き継いだ虚偽と矛盾が潜在していました。
なぜなら、「永遠に、わたしは生きる」は不動の実在の紛れもない真実でしたが、それはなにも努力して実現すべき目標などではなかったからです。
ですから、「第三の原色レッド」が
「永遠に、わたしは生きる」
と宣言した瞬間、常在である不動の実在とは別に、秘かに“在るかのごとき”幻影の次元が発生していた、と言わなければなりません。
これこそが、インドのヴェーダーンタ哲学が「マーヤ(=幻)」と呼ぶ幻想の顕現宇宙の誕生の瞬間でした。
「一なる実在」は、永遠の不動として安らいでいます。
しかし、幻想の現象宇宙を“永遠の不動”として実現することはできません。
それでは、現象宇宙を認識すること自体が、不可能だからです。
現象宇宙を顕現させるとは、“永遠の不動”という背景に対する「変化」を実現することにほかなりません。
しかも、「多様性」と「個性」という虚構を“実在するかのように”顕現させるには、それらが対立し、対比され、矛盾し合うことを、許容しなければなら
ないでしょう。
つまり、その「変化」は、個々の変化が相互に対立し、対比され、矛盾し合わなければならないというわけです。
かくて、幻想の現象宇宙を実現するとは、“永遠の変化”を起動することにほかならなかったのです。
「一なる実在」が、“見る者”と“見られるもの”に分裂するということは、じつは、永遠の分裂を誘引することだったのです。
……だからこそ、「レッド」が、
「永遠に、わたしは生きる」
と、現象世界を実現する意志を宣言した瞬間……、幻想の現象宇宙に“超弩級”の猛烈かつ永遠の連鎖爆発が起動したのです。
かくて、幻想の顕現宇宙の“永遠の変化”は運命づけられました。
不動の実在は、永遠の変化を続ける「顕現宇宙(マーヤ)」によって覆い隠されることになりました。
古来インドで、リーラ(神の遊戯)と言われる“神の隠れん坊”の始まりです。
それは、大いなるゲームの始まりでした。
それは、「一なる実在」という不動の岩盤が、永遠に波立ち続ける海の誕生によって覆われて、見えなくなってしまった瞬間だったかもしれません。
あるいは、永遠に変化し続ける雲が、背後の太陽を覆い隠すようなものだったかもしれません。
この「レッド」の光線の出現によって、「多様性」と「個別」を実現しようとした「イエロー」の意図は裏打ちされました。
実現した「多様性」と「個別」とは、じつは、“永遠の変化”と“矛盾”によって裏打ちされなければ実現しないものだったのです。
かくて、「レッド」の強い欲望と意志の裏付けによって、「イエロー」が意図した顕現宇宙は安定しました。
この【第三の原色レッド】が人間心理の世界で象徴するものを
生命への熱情
欲望と安定
(レッド)
という言葉で表したのは、そのためです。
また、現象世界に「レッド」の光線が射し込むとつねに、われわれ人間の中の何かが“熱くなり”“興奮する”のは、「イエロー」から引き継がれた虚偽を強引に“押し通す”意志を感じて、それを無意識に再演するからなのかもしれません。
そして「ブルー」と「イエロー」と「レッド」の3つの基本光線が射すことで、物理次元には鉱物圏と植物圏と動物圏のすべてが展開する素地が調ったことになります。
幻想の物理次元は、着々と準備を整え、それなりに確固とした基盤を調えたのです。
これで物理次元の登場者である人間のための、心理世界を展開するための基盤、3つの光線が出そろったことになります。
神の視界
独存の平和
(ブルー)
// \\
生命への熱情 → 個別への意志
欲望と安定 ← 自尊と不安
(レッド) (イエロー)
……。
また機会があったら、この基盤の「三原色」からどんなダイナミクスで二次色が生まれ、それらがどのような人間心理を代表するのか、そんな連想を楽しま
せていただくかもしれません。
聞き慣れた話とちょっと違って、戸惑われたかもしれません。(*^_^*)
いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定された見解というのではありませんので、そのへん、ご了解を。^^;
言うまでもなく、「カラーローズ」という「オーラソーマ」の素晴らしい発明に触発された、まったく自由な立場からの連想です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。<(_ _)>
pari 記
(初出『オーラソーマ通信』第168週号(2007,9/19)から編集)