ギフトとチャレンジ(1)

「オーラソーマ」「カラーローズ」をちょっと部外者的な立場から眺めて、自由な連想を試みる随想シリーズです。^^;

オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”に見立てて、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。

ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでお付き合いいただければ、案外、面白がっていただけるかもしれません。

「色の心理」「三原色」とその補色の「二次色」で合わせて6色、素人の恐いもの知らずで、ずいぶん勝手な連想を書かせていただきました。(^^;)

オーラソーマの(というか、オーラソーマがゲーテの色彩論から引き継いだ)「カラーローズ」には(時計の文字版の位置に)12色があります。

偶数位置(イチョウの葉の位置)に一次色と二次色、奇数位置(金魚の位置)に三次色です。



ですから、マラソンで言うなら往路は走り終えたみたいなものでしょうか。

たとえあとを書き継ぐにしろ、折り返し点でちょっとひと休み、話題を変えてみるのもいいかもしれませんね。

「閑話休題」というところです。

もうだいぶ昔になってしまいましたが、英国オーラソーマ社のサイトを日本語ミラーサイトに移植する作業をしたことがあります。

当時はむろん、わたしは「オーラソーマ」の何たるかなどまったく知りませんでしたから、とにかく文字から意味を推測しながら、本家サイトのコピーサイトを作っていたわけです。

そのとき、とても不思議な感じを持っていたことがあります。

それは「イクイリブリアム・ボトル」の各ページの説明文でした。

たとえば、「B010 Go Hug a Tree 行って木を抱きしめなさい グリーン/グリーン」の説明文を見てみてください。


現在は
・1本目に選ばれたときの性格的側面:
・2本目に選ばれたときに、チャレンジとなる性格的側面:
という言葉になっています。

当時はこの言葉が、
・性格の肯定的側面:
・課題となる性格の側面:
という表現になっていました。

では、その内容は当時はどのように書かれていたか……。

ご存知のように、今の内容と違っていたわけじゃありません。^^;

同じなんです(ちょっとニュアンスを和らげているところもありますが)。

たとえば、「B010 Go Hug a Tree 行って木を抱きしめなさい グリーン/グリーンだったら、
当時はこう書かれていたわけです。

──────────────────
性格の肯定的側面:
人々を支配することなく導いて行く人で、他の人にそれぞれ成長するスペースを与えることができます。人類の抱える問題についてハートのレベルで心配しています。何をしなくてはならないかをはっきりと認識していて、実際に行動に移します。喪失の体験の中においてさえ、何かを得ることのできる人です。良い聞き手であり、自分自身に対し、きちんとワークしています。また、正直で、真の意味で自立し、自らの運命に調和しています。創造性に満ちたアイディアを、実現できる人。自然と深いつながりを持っています。
──────────────────

なんと! 素晴らしい人ですね! (@_@)

というかむしろスゴイ人 (*_*)、と言った方がいいかもしれない。

> 人類の抱える問題についてハートのレベルで心配しています。

通常そんな人って、われわれのまわりにはなかなかいませんよね。

正直で、真の意味で自立し、自らの運命に調和しています。

(@_@)
これじゃ、まるで、マザー・テレサみたいな、ノーベル賞クラスの方を想像しちゃいます。

ところがですよ、「性格の肯定的側面」がそのように書かれていたその同じ人がですね、その次の「課題となる性格の側面」にはどう書かれていたか。

みなさん、よーくご存知ですよね。

現在と同じなんですから。(^_-)

──────────────────
課題となる性格の側面:
過去や未来に過度にとらわれています。知的な部分の中に閉じこもりがち。大地に両足がしっかりとついていません。自分が必要としているスペースや気晴らし、あるいは将来の見通しなどを創り出すことができません。自然や人生の刻むリズムからかけ離れてしまっています。なぜ霊的な進歩が必要なのか理解していません。
──────────────────

えー、なんなんだ、これは!? (?_?)

って、思ってしまいますよね。

まるで正反対。


あるいは、まるで二重人格、精神分裂症じゃないか……、って当時は思いました。

だって、

「何をしなくてはならないかをはっきりと認識していて、実際に行動に移」せるような人が、どうして……、「過去や未来に過度にとらわれています。知的な部分の中に閉じこもりがち。大地に両足がしっかりとついていません……」
なの (?_?)、って思ってしまいましたから。

それも別にこのボトルだからってわけじゃないのです。

どのボトルを見てもまるで二重人格みたいなこのギャップは変わりません。

これはいったい、どういうことなんだろうと思いました。

で、きっと、そう思う方がわたしだけじゃなかったんでしょうね。

・性格の肯定的側面
・課題となる性格の側面

という以前の書き方ではあまりにも矛盾して聞こえるので、現在の、

・1本目に選ばれたときの性格的側面:
・2本目に選ばれたときに、チャレンジとなる性格的側面:

という書き方が採用されるようになったのだと思います。

ああ、そういう意味か……と、それなら理解できます。

というわけで、こういうふうにタイトルが書き換えられたのは、とても自然で妥当な成り行きだと思います……。

ただ……。

こうすんなり納得できる表現になってしまうと、今度は、逆に、何かが見えなくなってしまうような面もあるかもしれません。

というのは、ヴィッキーさんはいつも、バランスボトルとは、あたかも固有の人格と付き合うように付き合ってほしい、と思っておられたようですから。

つまり、イクイリブリアムボトルには、たんなるモノではない、ひとりの生きた人格みたいな側面があるのだと思います。

そう考えると、たとえば「B10 グリーン/グリーン」は、たんに

「1本目に選ばれたときの性格的側面」
「2本目に選ばれたときに、チャレンジとなる性格的側面」

というユーザーへのヒーリング効果を持ったモノではないのかもしれません。

そうではなく、まさにひとりの固有の人格のように、「性格の肯定的側面」と「課題となる性格の側面」を持っている、と考えたほうが面白いような気もします。

そう考えると、当初の書き方がごく理にかなっているような気もしてきます。

少なくとも、当初、サイトの移植作業に関わって不思議な感じを味わった者としては、そういう感じをもってしまいます。

あの一見、二重人格的な「肯定的側面」と「課題的側面」は、「B10」さんに固有の二つの側面だ、と言えるのかもしれない……。(-_-;)

と、ちょっと、シャーロック・ホームズを気取ってみたくなります。(^_-)

なにしろ、この二重人格的、精神分裂症的な「肯定的側面」「課題的側面」の極端な対極性は、なにも「B10 グリーン/グリーン」にはかぎらないのです。

どのボトルを眺めてみても、まさに見事に「肯定的側面」と「課題的側面」は正反対なのでから。

いや、正反対という言葉は、少し当たらないかもしれませんね。

というよりは、むしろリアルにある種の個性というか、人格的なを首尾一貫性を感じてしまいます

ランダムにいろんな特徴を“つぎはぎ”ででっち上げた性格ではなくて、いかにも現実に存在する人間のようなリアリティが感じられるんです。

この人格的な統合性はどこからきたのか……? (-_-;)

そのあたりをちょっと詰めてみたいなぁ、と思ったんですが、ちょっと紙幅をオーバーしそうなんで、そこからどんな風景が展開してくるのかは、また次回に、ということにさせていただきたいと思います。^^;

お付き合いいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

pari 記(『オーラソーマ通信』から編集)

 

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