いつもヴィッキーさんのお話には驚かされることが多いですが、今回の話の展開も普通じゃないですね。
アインシュタインの相対性原理によると、強い重力の近辺では空間が曲がるそうですけど、ヴィッキーさんのような霊感の強い人がいると、その近辺では霊的時空が少し曲がるんじゃないでしょうか。(*^_^*)
ダックスフントのジャスパーが急ブレーキをかけて立ち止まっていたのが、何を見てのことだったのかが今回明かされます。
「人生いろいろ」という言い方がありますが、こんなこともあるんですねぇ。
では前回の挿話の後半部分をご覧ください。
トマトはきちんと摘まれて皆に配られ、私は写真屋から現像がすんだフィルムが戻るのをひたすら待ちました。
そして待ちに待った写真が届くやいなや、私はもう夢中でした。
さあ、私のトマトの写真はどこでしょう。
塀はちゃんと写っています。
けれどもトマトがあるはずのところにはそれらしき影があるだけ、その前には、なんと白黒の犬が座っているではありませんか!
その犬はまったく見覚えがなく、私の3匹の犬のどれでもありません。
けれども、私たちの庭に、別の犬が入ってこれるはずはないのです。
そんなことがもしあったら、ジャーマンシェパードがばらばらに引き裂いてしまうでしょうから。(私はこの犬の写真をこれを筆記してくれているアンに見せましたが、やっぱりどう見てもそれは犬です)
「なんてこと、二重写しになっちゃって」私はひとりつぶやきました。
「せっかくの傑作がだいなしだわ」
けれどもプロのカメラマンによれば、これは絶対に一枚の写真でしかありえないとのこと。
私はどう考えていいものか、悩みました。
その後、トマトを賞味した隣人が現れました。
「写真は返ってきたの?」
それで私は同情の言葉が返ってくるのを期待しつつ、彼女にそのちょっとした悲劇の写真を見せたのですが、その人は目を見開き、息を呑んだまま黙りこくってしまったのです。
「あの、どうかしましたか」私がこわごわたずねると、
「これはニッキーよ」と、彼女はつぶやきました。
「Xさんのご夫婦(というのは、以前の薬屋の持ち主です)の飼っていたテリアよ。
道路に飛び出して車に跳ねられてね。
十五年くらい前の話かしら。
彼らはそれは悲しんでね。
あの塀の下に埋めたのよ」
その写真は50年たった今でも、私の手元にあるのです。
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p268-270)
【私はこの犬の写真をこれを筆記してくれているアンに見せましたが、やっぱりどう見てもそれは犬です】
【その写真は五十年たった今でも、私の手元にあるのです】
これがすごいと思いませんか。これを口述している時点で、この写真が存在しているというのが。
pari 記