感じるハートは愛とエネルギーを送りだすポンプ(モーガン・フィッシャー)

「はじめに言葉ありき」という言葉を聞いたことがあると思います。

これは『新約聖書』のヨハネの福音書の冒頭部分にある言葉です。

たとえば、大正改訳聖書(1950年版)だとこんな文章になっています。

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 ヨハネ傳福音書
 第1章
 1:1太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。
 1:2この言は太初に神とともに在り、
 1:3萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。
 1:4之に生命あり、この生命は人の光なりき。
 1:5光は暗黒に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。……
 
 引用先:http://bible.salterrae.net/taisho/html/john.html
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最初にあったのは言葉だというのです。
太古の世界では言葉は神とともにあり、言葉は神だったと。
そして森羅万象は言葉によって成立したものであり、現象世界に現れたもので言葉によって成立しなかったものはひとつもないと。

はじめてこういう言葉に触れたとき、何を言っているのやらさっぱりわかりませんでした。
というか、対象物があるから、それを呼ぶ必要から名前が決められるのであって、その名前が先にあったはずがないじゃん、と思いました。(*^_^*)
この「はじめに言葉ありき」という言葉の意味が理解の範疇に入ってきたのは、それからずっとあとのことだったように思います。
万物は言葉によって誕生したものであり、言葉に依らずに誕生したものなど何ひとつない、という言葉は、よくよく考えてみると、なるほどと腑に落ちてくるものがあります。

世界は言葉(つまり観念)から誕生したものであり、現象世界は観念によって構成されている……。(-_-;)

なるほどなぁ、と思うようになりました。(^^;)

その言葉は最初こそは神とともにあったかもしれませんが、多くの地域に分岐し、多くの時代を経ることによって、やがては人間世界の言葉として定着していきます。
そうすると、多くの文脈や経緯を経て、それぞれの履歴を積み重ねるうちに、さらに多様多彩なさまざまの観念を紡ぎだしていきます。

そういうわけですから、個々人が使う言葉の背景には、使う人の個人的体験の記憶や連想が控えているわけですよね。

日本に住み、日本を基地として自身の創作活動を展開しているモーガン・フィッシャーさんの、「ハート」という日本語にまつわる感想を読んでいて、ふとそんなことが連想されたのでした。

では、モーガン・フィッシャーの「ポータルとしてのハート」からそのあたりに触れた部分をご紹介しましょう。


1990 年、私は「Echoes of Lennon(レノンのこだま)」というアルバムを作りましたが、それはジョン・レノンのラブソングを、私なりに解釈してキーボードで表現したものです。
その後まもなく、私は「グローバルな哲学者」であるジーン・ヒューストンと話をするためにロサンゼルスを訪れました。
彼女は世界の歴史と霊性について、非常に広範で深遠な見解を持っていました。
私は、彼女に自分のアルバムを渡しました。
すると、彼女は親切にも手紙をくれて、渡したアルバムについての印象を伝えてくれました。

「この音楽は新しい地平と、より高い領域へのポータルです」

その日以来、この「ポータル」という言葉は、ずっと私とともにあります。

もちろん25 年経った現在では、この言葉はインターネットのゲートウェイを意味するがために、しばしば使われていますが、私にとって、この単語の音にはより深い意味があるのです。
「ポータル」とは、私たちへの挑戦と招待を意味しているのです。
私たちは、みな自分のなかに「ポータル」を持っていると思います。

それは、ハートと呼ばれています。


英語には、肉体の心臓と霊的/エネルギー的/感情的なハートを表わす、ひとつの単語しかありません。
しかし、日本では二つの言葉があり、私はそれが気に入っています。

二つの言葉とは、「心臓(shinzou)」「ハート( heart)」です。

ひとつは肉体にある臓器を表し、ひとつは感じる器官(またはチャクラ)を表しています。
また、「心( kokoro)」という単語もありますが、これは英語の「マインド」と重なっているので、この言葉を使うことで混乱させないよう、ここでは「ハート(heart )」という言葉に統一してお話したいと思います。

ハートは、双方向へのポータルだと私は思います。
私たちはそこから感情と愛、エネルギーを受け取ることができます。
そこから愛とエネルギー、そして絵画と音楽といった表現方法を使って伝達することもできます。
そして「トランスミット(伝達)」というとき、私は音楽家として、どこか他の場所からチャネルされた音楽が、ハートを通して人々へと届いていくという強烈な体験があります。

肉体の心臓が、ひとつの場所から別の場所へと血液を送りだすポンプであるならば、感じるハートは、愛とエネルギーをひとつの場所から別の場所へ送りだすポンプだとするのは、なかなか愉快な比喩です。

『リビング・エナジー』Vol.9(p37)


 

「ポータル」とは、私たちへの挑戦と招待を意味しているのです】

【私たちは、みな自分のなかに「ポータル」を持っていると思います。それは、ハートと呼ばれています】

ひとつの言葉が別の言葉を紡いでいくのですね。

そして明らかにそれらの言葉が私たちの現実を紡いでいくのでしょう。

pari 記

 

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