グリーン

グリーン
「色のエネルギー」から   マーグ・シモン(オーストラリア)
       人生は矛盾そのものと言えるかもしれませんね。
そこではあらゆる表現が、その対極の表現があることを前提にして成り立っているのです。
たとえば、“自分を押し通す力強さ”というものが尊重されるとします。
でもじつは、その力はそれを受け容れ、それ容認する“包容力”なしには実現できません。
もちろん、こちらの意志を受け容れない人を相手にしなければならない状況というのはあります。
地上はそんな状況ばかりですよね。(^_-)
そういう場合は、もちろん戦いが起こります。
スポーツなどはその戦いをゲーム化したものと言えるでしょうね。
そういう場面では、一方が思いを遂げることができれば、その相手の思いは挫折せざるをえないわけです。
その場合、勝者の誕生はそのまま敗者の誕生を意味します。
もし誰もが敗者になることを望まないのなら、これはとてもバカげたシステムともいえます。(*^_^*)
今地上は、このバカげたシステムでの表現をやり尽くして、そろそろこのゲームを終わりにしようとしているところなのかもしれません。
さあ、その場合は、どんなふうな展開になるのでしょう?
「レッド」の対極は「グリーン」ですね。
この両者をどのような塩梅で包摂していくか?
マーグ・シモンは「グリーン」のエネルギーについて書いています。
       —————————————————————— グリーン
グリーン
それではグリーンのエネルギーとその恩恵に引きつけられる魂はいかがでしょう。 彼らは素晴らしいオープンなハートを持ち、様々な人種や信条の人々と一生のつながりを持つような生き方ができます。
グリーンはどこにでも属しながら、どこにも属さず、境界を持ちません。 その叫びは「どうか私を踏みつけないで」と言えるかも知れません。 しかし補色のレッドを包含したなら、私たちが無力な犠牲者ではないことをハートの内に知るでしょう。 チャレンジ(挑戦)とギフト(才能)はハートで聞くということです。 グリーンは境界を超えて相手のハートに手をさしのべることができます
ある状況の中で自分自身を尊重しない時、私たちは他人をうらやんだりします。 補色のレッドを包含したとき、グリーンは私たちに自分の真実を生きる勇気を与えます。 グリーンの内なるスペース、ハートの中にいる時は自分だけでなく他の人々が彼ら自身の真実を生きることを許すことができるのです。 ハートからやって来るとき、そこには全ての存在を許す無限の許容量があるのです。 グリーンはこの次元を超えて別の次元、地球や別の世界の鼓動へとつながることができます。
このように限りなく色はその魔法の糸、私たちの生の糸を紡ぎます・・・全体とはどんなふうに見えるのでしょうか。 もしあなたがあなたのハイヤーセルフ(高次の自己)を見、知ったなら、あらゆるチャレンジや祝福はどのように見えるのでしょう。 単に与えられた機会として、そしてあなたにはそのチャレンジの持つ美しさが見えますか。 レッドのフラストレーション、ヴァイオレットの逃避、グリーンの羨望、あらゆる色の向こう側にあるものを見てごらんなさい。 それらは自己の内に受け入れられることも、愛されることも、自己の一部であることも認められず、拒絶されてきたエネルギーにすぎないのです。 
ポカホンタスはこんな美しい言い方をしています。
山の持つあらゆる声で歌うことができる 風の持つあらゆる色で描くことができる
        『リビング・エナジー』Vol.2(p71)
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【レッドのフラストレーション、ヴァイオレットの逃避、グリーンの羨望】
【それらは自己の内に受け入れられることも、愛されることも、自己の一部で あることも認められず、拒絶されてきたエネルギーにすぎない】……。
さあ、そのすべてが認められたとき、それらのエネルギーはどのように表現されるのでしょうね。
pari 記
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