ハートとは人類が愛でつながる宇宙的な場所です

言葉というのは文化の基底をなすものだと思います。

それは言葉が、あらゆる物事の解釈の枠組みを決定しているために、生活万般を含めた人間の考え方や感じ方まで決めてしまうところがあるからです。

外国語はもちろんある程度は翻訳が可能なのですが、とはいえ同じものを指し示す同種の単語であっても、それぞれの言語のなかでは大なり小なり異なる連想体系を持っているものです。

たとえば、日本語の「感覚」「感情」「感覚的」「感情的」などの言葉は、「感じる」という動詞の同じ「感」の字が使われていて、見た目からしてとても近縁の言葉と類推される面があります。

でも、これを英語に置き直してみると「感じる」だと「feel」でしょうね。

英語では「感覚」「sense」「感情」「emotion」ですから、語根からしてまったく別種の言葉です。

日本語だと「感情的になる」のと「感覚的になる」のとは、違うことはわかっているのですが、その違いはとなると明確には説明づらかったりします。

しかし英語では、「感情的になる」「become emotional」で、「感覚的になる」「be sensuous」ですから、まったく意味が違うことが明確で、この場合は英語の連想体系のほうが適切な感じもします。

こんなことを感じたのは、今回ご紹介しようと思ったラハシャ博士の記事で、「感情と感覚の違いを認識する必要」があることに言及されていたからでした。

ではラハシャ博士のインタビュー「空っぽなハートの気づき~ハートからのカウンセリングにおけるハートの機能」から、そのあたりの機微に触れている部分をご紹介しましょう。


こんにちは、ラハシャ。
あなたは、日本で「ハートからのカウンセリング」というコースを教えておられますね。そこで、今回のインタビューでは「あなたにとってハートとはなにか?」という質問からはじめたいと思います。

それは、とても大きなテーマの質問ですね。
無限に答えられる質問ですが、はじめてみましょう。

ハートとは、人類が愛でつながる宇宙的な場所だといえます。

私のハートに関する理解、それは何年もの時を超えて、さらに拡大しつづけています。

まず、医者の見地から視たハート(心臓)は、血液を送り出すポンプの役割を持っている肉体的なハートのことですが、心臓は身体の中心ではなく、そのもう少し左側にあります
それからヨギの見地からチャクラマップを見ていくと、そこには実際的で確かな概念が存在しています。
ハートチャクラは、エネルギーセンターであり、胸の中心に位置しています。
ハートの外側の層と呼んでいる場所には、存在の「感じる側面」があり、今この瞬間を感じるとき、実際はハートを通して感じているのだといえます。



私たちは、感情と感覚の違いを認識する必要があります。
私たちが感情的になっているとき、それは感じているのではなく、過去の思考にしたがって身体やマインドに同じような反応を生みだしているのにすぎないのです
それは、あたかも感じているかのように見えます。

本当に感じること、それは真のハートの体験を通してのみ、この瞬間に起こるものなのです。
今、私がここに座り、美しい森を感じ、地球を感じ、やさしい風を感じ、聞こえてくる鳥の声を感じている、そのすべてがハートになんらかの影響を与えています。
また、内側の深みを感じるとき、ハートは喜びや沈黙、臨在、あらゆる体験への扉となります。

さらなるハートの深みへと入るためにハート瞑想を行うのですが、この瞑想でハートのさまざまな層、マインドの層、私たちが作りあげた物語の層、感情、身体の感覚、呼吸、心臓の鼓動よりもさらに深い場所、空っぽなハート(空)と呼ばれる場所に触れていきます
この肉体を通して体験している世界よりもさらに深く、想像することもできないような場所、けれども、ここに存在しながらにして明らかになっていく場所、禅マスターによって語られてきた「空くう」と呼ばれる場所、エンプティハート、私たちの中心、ハートの中心、そこにはなにもなく・・・空っぽだけが存在する場所・・・その場所は、このように知覚されます。

そして今日、多くの人の人生は型にはまり、「空」を恐れて、個人的な物語をたくさん持っています。
これは、とても恐ろしいことです
ですが、私たちはハートに戻り、そしてなにかを見つけだすために内側へ入ろうとしています。
今、私たちは計り知れない意識の拡張のために、その道からそれないように、なぜなら私たちが呼んでいる「空っぽなハート」は、存在のすべてだからです。
それは神の領域であり、また気づきであり、そしてまた意識なのです
ここには「空っぽのハート」を表すための言葉が、たくさん存在しています。
言葉では表現できないというのが真実です。
なぜなら、この広大で空っぽなハートのなかで、私たちはひとつだからです。
この、ひとつであるという場所を感じるとき、実際に私はそれを体験していますが・・・外側から聞こえてくる鳥の鳴き声が、自分の内側から聞こえてくるような感覚、目の前にある木々たち、私もその一部であるという感覚、見あげる空、その空が自分の内側に広がる感覚ですが、それをOSHO は「内なる空」と呼んでいます。

『リビング・エナジー』Vol.9(p8-9)
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【今日、多くの人の人生は型にはまり、「空」を恐れて、個人的な物語をたくさん持っています。これは、とても恐ろしいことです】

【今、わたしたちは計り知れない意識の拡張のために、その道からそれないように、なぜなら私たちが呼んでいる「空っぽなハート」は、存在のすべてだからです】

すべてが空なるものと感じられたら、初めてすべては遊びになるんでしょうね。(^^;)

今年もラハシャ博士のコースを受けられる季節が巡ってきましたね。
https://oshoartunity.com/blog/post_lp/rainbow_consciousness

https://aura-soma.jp/schedule/booking.cgi?code=190502-05Ra_CS_f

貴重な機会です、チャンスがあるときにどうぞ。

pari 記

 

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