B15 新しい時代の癒し その1

久しぶりにオーラソーマタロットとともにボトルを見てみましょう。
オーラソーマシステムは、選んだイクイリブリアムボトルの色のメッセージや、その印象が自分を映し出す鏡、という考えが基本です。
オーラソーマコースのレベル3では生命の木とともにタロットカードを学んでいきます。 そこではタロットカードとボトルとの対応によって、より深く、あるいは別の側面でのボトルのメッセージを受け取っていくことを学びます。
オーラソーマではタロットは、その生命の木の理解にとってなくてはならないものでもあります。
それはともかく、オーラソーマタロットは、マイクのオーラソーマの理解に基づいたサジェスチョンを取り入れながら制作されたそうです。
そのデザインは従来のタロットカードのイメージやシンボルを踏襲していることが多いのですが、この悪魔のカードは従来のタロットに見られないユニークなイメージです。
従来の「悪魔」のタロットには悪魔とおぼしきイメージが描かれていますが、このオーラソーマタロットの「悪魔」のカードにはそれが描かれていません。
$オーラソーマ 総合情報サイト ブログ-マルセイユ版タロットの悪魔
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94_%28%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88%29
例によって・・・
$オーラソーマ 総合情報サイト ブログ-15 The Devil
http://artbeing.com/aura-soma/reading/tarot-B015.html   ここでは二人の裸の男女が暗闇にもがいている姿が描かれています。
上半分は太陽が照っています。
そして虹色の幕の下で、女性は太陽の方を見ています。 男性は片目を覆い、下を向いて、さらなる地獄の炎のなかへと堕ちる恐怖におののいているようです。
そしてコウモリが、その地獄の穴から飛んできているようです。
これは何を表しているのでしょうか?
まずこのカードの背景にはボトルがあります。
$オーラソーマ 総合情報サイト ブログ-B015 Healing in the New Aeon
http://aura-soma.co.jp/products/equi/B015.html   上がクリヤーで下がバイオレットです。
上のクリヤーは意識の光を表しています。
それが、このタロットカードでは太陽の光として象徴されています。
そして下の色はバイオレットです。
バイオレットはオーラソーマの色の言語では影(シャドー)を表します。 あるいは無意識、ネガティブな思考を象徴します。
太陽の光があれば、そこにはかならず影ができます。
人間の心理に例えれば、自分の影の部分、人から隠しておきたい自分の中の見たくない側面、ネガティブな側面、あるいは無意識に抑圧されているものです。
それが、ここでは「悪魔」とされているものです。
通常のタロットでは、それが半人半獣のような姿で描かれています。
動物的な欲望や本能、どん欲さ、嫉妬、物欲、冷酷さ、絶望、無知、恐怖、悪徳、不安、悲しみ、罪悪感、魔性、残酷さ、そしてありとあらゆる非人間的なものをも象徴しているようです。
でも、ここで興味深いのは、半分は人間の姿でもある、ということです。
キリスト教では、神は万能と考えられていますので、「では、どうして悪魔が存在しうるのか」という議論があるようです。 つまり神が万能なら悪魔も神の一部でなければ論理矛盾が生じるからです。 神に反する悪魔が存在すれば、神は万能とは言えなくなるからです。
そう考えると、実は悪魔も神の使者だとも言えるわけです。 それは悪魔の元祖ルシファーが堕天使と言われながらも「天使」であることに変わりはなく、神の使者であるように。。。
それはともかく、悪魔にそそのかされて、イブが善悪を見分ける知恵の木の実を食べて、アダムとイブが楽園を追い出された、というのは有名な話ですが、生命の木は、再び人間が楽園に変えるための地図として、神が再び人間に与えたものだ、というのが「生命の木」にまつわるひとつのストーリーです。
ですから、ここに示されているタロット、そしてそれに対応するイクイリブリアムボトルは、再びその楽園に帰るヒントが秘められているわけで、その鍵となるものだと考えられるわけです。
それが、ここでタロットとともにイクイリブリアムボトルのメッセージを見ていく意味があるわけです。
キリスト教のお話に沿って考えると、アダムとイブ、つまり人間は知恵の木の実を食べることによって・・・つまり理性を得ることによって、楽園を追いだされたわけですが、実はそれは人間に取ってはよいことでもありました。(と思います)
$オーラソーマ 総合情報サイト ブログ-楽園からの追放
なぜなら人間が知恵を得なかったら、親に守られた幼い子供のように、安全で庇護されたなかで、原罪もなく、本能的な従順さと動物的な本性のままにエデンの園で安楽に暮せたかもしれませんが、同時に今の文明もなく、人間としての進歩も成長もなかったでしょう。
反面、人間は知恵を持つことにより、理性や自我の意識も持つことになりましたが、そこからありとあらゆる問題を作り出すことにもなりました。
そして今や人間の宿命として、その自我の意識を超え、自分で作りだしたさまざまな問題を自分で解決して、自由を獲得していかなければなりません。
それが再び楽園へと帰る道なのです。
その楽園へと帰る道とは、実は神(神性)は内側にあり、その神を内側に見いだしていくことのプロセスになるでしょう。
こういう物語があります。
あまりにも多くの人が神にありとあらゆるお願いをするので、それにうんざりした神が人間から隠れようと思ったそうです。 そこでヒマラヤの上はどうだろうと考えたけれども、そこにも人間はやってくるし、では月なら大丈夫だろうと思ったら、そこにも人間がやってきて、途方に暮れてしまったそうです。 そこである天使が「人間の内側はどうでしょう? 人間は外側を探すことに忙しくて決して内側を見ようとしないので安全ですよ」と進言したところ、それはいいアイデアだというので、神は人間の内側に隠れた、ということです。
それは仏陀の教えでいうと、内なる仏性を見いだすということとも言えます。
オーラソーマのタロットの旅は、その内なる神、仏性にいたる旅のプロセスとも言えるでしょう。
最近「脳」のブームですが、いろいろ本を読んでいるうちに、面白い表現を見つけました。
コンピュータについては、そのトリセツ(取り扱い説明書)というがあるのに、脳に関しては、そのトリセツがない。でも高速コンピュータを与えられているようなものだ、と。
人間の脳というのは、人間と動物とを区別する最も重要なもので、人間の知恵や理性の道具、超高性能コンピュータとも言えるようなものですが、そのトリセツが、これらのタロットないしイクイリブリアムとも言えるかもしれません。
そういう観点から見た場合、では、このオーラソーマタロットの「悪魔」のイメージはどういうメッセージを私たちにもたらし、どういうトリセツとなっているのでしょうか?
そういう文脈の中で、この意味を探っていきたいと思います。
今回は書いているうちに途中から横道にそれてしまったようで、次回につづきます。。。
・・・というわけで、以下のリンクより今日のメッセージをもらってみましょう。 $オーラソーマ 総合情報サイト ブログ-今日のタロット
尚 記
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