人間が耐えられる限度を超えている

人間が耐えられる限度を超えている
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』:「7 じっとたたずむ時」から                         ヴィッキー・ウォール
        吉田松陰は「十歳ニシテ死スル者ハ十歳中自ラ四時アリ」(十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある)と言ったそうです。
どのような人生にも、ドラマとしての四季があるのかもしれません。
人間のドラマには絶頂もあればどん底もあります。
絶頂だけあって、どん底のないドラマがいいような気もしますが、もし劇作家であればけっしてそのようなドラマは書かないでしょうね。
なぜなら、それでは読者が満足しないし、だいいちそんなドラマを面白がる人間はいないからです。
いや、実際の人生と、物語やドラマは違うだろう、と思いますか?(^^;)
われわれ人間が寝て見る夢が、個人の潜在意識が紡ぎだす夢だとすれば、人間の人生とは宇宙の集合意識が紡ぐ夢とも言えるかもしれません。
ある意味で人間は、そのドラマの登場人物とドラマの観客を兼ねているのかもしれませんね。
ヴィッキーさんの人生も、ここでいよいよオーラソーマの創始者となるために、人生のどん底に遭遇することになったようです。
ドラマの登場人物としてはこの上もなく大変なことですが、地球世界にオーラソーマという宇宙的ツールを降ろすドラマとしては、そういう場面が必要だったのでしょうか。
大変なことですよね……。
        ——————————————————————– ある日曜の朝のこと、私はキッチンで散歩前のお茶を飲んでいて、マーガレットが流しの横の水切り台で、大きな玉ねぎを切るところでした。 彼女はいつも上の部分で野菜をすりつぶし、下でスライスすることのできるフードプロセッサーを使っていたのですが、その鋭い機械音が私の耳をピストルの銃声のようにつんざき、頭と目に、耐え難い痛みが走ったのです。 私はとっさに両手で耳をふさぎました。
「やめて!」と、私は叫びましたが、騒音が邪魔をして、マーガレットの耳には届きません。
それは恐らく数秒のことだったのでしょう。 けれども私にとっては、永遠かと思われる地獄の責め苦でした。 そしてついに騒音がやんだとき、おそるおそる手を離し、目を開けてみると、左目に真っ赤な「蝶」がべったりと張りついていました。 何度も瞬きをしてみましたが、それは取れません。 それどころか、ますます大きくなっていくようです。 私はパニックを起こし、マーガレットは網膜剥離ではないかと、あわてて医者に電話をしました。 その結果、手術が必要かもしれないということになり、検査を受けたあと、紹介状とともにまっすぐに病院へ運ばれたのです。
それは網膜剥離ではなく、左目の視界のほとんどを奪う重い眼底出血でした
「ただ、時間をかけて待つしかありませんね」と、医者は言いました。
出血はある程度でおさまったものの、左目の視力は戻りません。
千々に乱れた心を抱いて、私は病院をあとにしました。 体の具合が思わしくないせいでしょうか。 人生が繰り返し与える、こうした辛いパターンのせいでしょうか。 私は完璧に打ちのめされていました。 困難を乗り越え、勝利に至ったと思われた瞬間、病気からの回復の絶頂期に、もう一度無へと投げ返されるとは。 それはあまりに残酷で、人間が耐えられる限度を超えている
      『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p59-60)
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このときのヴィッキーさんの眼は、フードプロセッサーの機械音にも耐えられないような脆弱なバランスで保たれていたんですね。
「ただ、時間をかけて待つしかありません」とは、要するに、治療の方法はありません、ということなのでしょう。
ヴィッキーさんはいよいよ全盲の時代に入るようです。
pari 記
       
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