アートはセラピー的な表現になりうる

アートはセラピー的な表現になりうる

 

  「アートを通してのカラーセラピー」から     ギーテッシュ


       


人間の表現はすべて何らかの意味で、自分の内面の表現ということになるでしょうね。

 

そして内面というものは表現されるためにあるので、これを表現できないのはつらいんですよね。

 

人間にとって一番望ましい状態は、当人の内面とその表現の間に差がないという状態だと思います。

 

ところが残念なことに、これができるのは赤ん坊だけです。(*^_^*)

 

赤ん坊にそれができるのは、むろん、赤ん坊は何も考えないからです。

 

大人もそれができるといいのかもしれませんが、通常そういうわけにはいきません。(^_-)

 

大人が人々の間で何らかの表現をするときは、つねに相手に対する自分を表現しなければなりません。

 

ある意味で、大人はいつでも相手に対してある程度は自分の態度を使い分ける、つまり演技をせざるを得ないということです。

 

この自分の内面と自分の表現との間のギャップが、人間にいろいろな意味でのストレスを与え、ついには病気にまで至るような原因になるのかもしれません。

 

その意味では、芸術家の表現というのは、自分の内面をストレートに表現することと、その作品の世間的価値を演出することの、2つの側面の間でバランスをとる行為と言えるでしょうね。

 

つまり、芸術家というのは自己の内面を表現して、自分を癒すこと自体を、職業として選んだ人とも言えるのかもしれません。

 

今回の記事では、画家のギーテッシュは絵を描く行為自体がヒーリングになりうることに気づいたとおっしゃっています。

 

では、ギーテッシュの記事「アートを通してのカラーセラピー」からご紹介しましょう。


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そうこうしているうちに、これは抽象画のおかげなのですが、必要性にせまられて、ついに私は自分の直観の能力を発見し、自分の内なる声と内面の必要性にしたがって色を使いはじめました。


この時点で、私はアートはセラピー的な表現になりうるということに気づきました

 

私は何カ月にもわたって自分がいつも非常に強く惹きつけられる一色ないし一組の主な色があることに気づいていました。
そのあいだ、私は強迫観念にかられたように、これらの色を使って絵を描きました。

 

同時に、これらの色を強烈に使うことに伴って、いつも私の日常生活に強く表れる心理的、身体的な現象があることにも気づいていました
 

別の言い方をすると、その長い期間強迫的に私が惹かれて使っている色にいつも対応して、過去から私の心と身体にある混乱、不調和、トラウマあるいはブロックがあるということに気づいたのです

 

何度も繰り返し、毎日毎日これらの色を使って絵を描いていることで、私は深くその自分の心理的身体的不調和と深くかかわっていたことは明らかです。
そうすることで深いカラーヒーリングが起こっていたのだということを理解するに至るのは、いつもこのプロセスが終わってから一ヶ月たってからでした。

 

これらの経験から、もちろん今ではそのことにずっと意識的になっていますが、直感的に色を選ぶということが非常に重要なことだということがわかりました。

 

もし身体が、システマティックな精神的プロセスに全く妨げられずに、自分自身のために選ぶことが許されれば、身体はその時の自分の必要性にぴったりあった色を自然と選ぶでしょう。

 

自分の状態がどんなに不調和であろうと、どれほど深く複雑であっても、それらは直感的に見いだされた色によって強力に影響されるでしょう。

 

「直感的」であるということに関して言えば、「選択」という言葉を使わない方が正確でしょう。
 

選択ということですでにメンタルプロセスを使っていることになってしまい、直感というのはそういうものではないからです。
「正しい色ないし色のコンビネーションが私たちを選ぶ」と言ったほうが適切な表現です。

色と私たちの存在との間にシンクロにシティがあると言ったほうがもっと正確です。

 

アートを通して色をセラピー的に使うのは、他の種類のセラピーで色を使うのと同じように機能します。
 

絵を描きながら、直観的に色を使っているうちに、抑圧されていたエネルギーが、内側の深いところからゆるみはじめ、動きはじめます。色がこれらのエネルギーを活性化し、強めるのです。

 

http://www.larkgallery.com/represented_artists/geetesh_gibson/index.html

 

それらが抑圧された状態から、表面へと、外側へと動くにしたがって、それらは再び生き生きとしはじめ、ときには、全く驚くべきことに、私たちは再びそれらを体験し、生きることができるのです。

 

    『リビング・エナジー』vol.1(p18-19)
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【絵を描きながら、直観的に色を使っているうちに、抑圧されていたエネルギーが、内側の深いところからゆるみはじめ、動きはじめます】

 

【それらが抑圧された状態から、表面へと、外側へと動くにしたがって、それらは再び生き生きとしはじめ】・・・。

 

そういうことがあるんでしょうね。

 

pari 記
 

 





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