なにやら不思議な導きの手に引かれて、ヴィッキーさんはセシリアのおばさんのヒーリングに関わったのかもしれません。
でも、やはりあまりにも帰宅が遅くなって、家に帰ってからみっちり絞られます。
もう二度と誘われるのはやめようと決心するのですが、でもそういう決心というのは当人が思っているほどの力は持っていません。(^^;)
現象世界に生きる生き物たちは、すべて実際は全体に織り込まれているのでしょう。
個々人の物語は全体の物語の部品のようなものですから、全体の都合で割り振られた役割はいずれにせよ果たさなければならないものです。
小学生のヴィッキーさんは、また親友のセシリアの言葉にそそのかされて、学校帰りにまたあのおばさんの家を訪ねることになるようです。
どうも、おばさんはヴィッキーさんが来ることを前もって知っていたらしく、どうやら待ちわびていた様子もあるのです。
そうやってヴィッキーさんも少しずつ、生涯の物語のために一種の“教育”を受けていたのかもしれませんね。
「帰らなくちゃ」私はあせりにあせり、「どうもごちそうさま」と言うが早いか、ほとんど飛ぶようにして部屋をあとにしました。
セシリアも別れを告げ、私のあとを追ってきました。
「ケーキ、最高だったでしょ」
彼女の第一声は、こうでした。
(おばに関することじゃなかったわけですが、だからといって、彼女がおばさんを大事に思ってなかったというわけではないのです)
そして怖れた通り、帰宅は遅れ、みっちりと油を絞られるはめになりました。
もう二度と誘いに乗るものかと誓い、それから三度断り続けましたが、四週間目になると、セシリアは私をこう問い詰めてきたのです。
「おばさんがね、どうしてあなたは来ないのかって、ずっと気に病んでるの」
私はつい弱気になり、断れず、そして同じような一連の出来事が繰り返されました。
私が彼女の手を取ると、じんじんした感じが起こり、それからやはり家に帰るのが遅くなり、同じように叱られるという。
次に誘われたときは、おいしいケーキの誘惑も、さすがにもう私の気を引かなくなっていましたが、さらに次の週になると、セシリアはうきうきと飛び跳ねんばかりの様子で、こう言ったのです。
「いいから来て。すごいんだから」
「いったい何よ」
「内緒よ」
彼女はいかにも意味ありげに微笑みました。
何という心理トリックでしょう、私は行かずにはいられなくなりました。
今回は、ドアの把手からひもは下がっていませんでした。
セシリアがノックをすると、なんと、玄関に現れたのはベッドに寝ているはずのおばさんその人でした。
思ったよりずっと背が高く、思ったよりずっと痩せていましたが、今その人は立って、にこにこと微笑んでいるのです。
「お入りなさい」彼女は言いました。
「あなたを待っていたのよ」
私は、彼女の暖かい抱擁を受けながらも、きつねにでもつままれたかのよう、それから一緒にお茶を飲みましたが、帰りが気になって、早くもそわそわしてきました。
「急いでるのね」セシリアのおばは言いました。
「あなたをやっかいな目にあわせるつもりはないわ。
私はただ、あなたのおかげで病気が治ったってことを、知ってもらいたか っただけなの。
本当に、一生忘れないわ」
そのとき私は、かわいそうに、この人はすっかり気が違ってしまったんだ、と思いました。
胸のどこか奥深くがかき乱されるようでもあり、未知のものへの恐怖もあって、あえてそれ以上そのことを考える気にはならず、それ以後は誘われても、二度とその家を訪れることはありませんでした。
セシリアがこの世から天使のもとへと帰ったのは、まだほんの13歳のとき、結核でした。
私は最愛の友の旅立ちを嘆き悲しみましたが、以来、私は幾度となく彼女に会っており、まるで別れなんてなかったかのようです。
息を引き取る前、セシリアは例のおばさんの話をしてくれたのですが、それによると、長い間寝たきりだった彼女は、私が訪れる数か月前、この世ならぬものの訪問を受け、そのとき、病気を癒しにある子どもがやってくると知らされた、とのことでした。
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p27-29)
当時、結核は恐ろしい病気だったんですよね。
でも、ヴィッキーさんはその後も何度もセシリアに会っていたという表現をしています。
いったいどういう意味合いの言葉なんでしょうね。
こういうお話を読んでいると、その時代時代の物語の雰囲気が感じれれます。
まるで時代によって担当する脚本家が違うみたいに。(^^;)
pari 記