ディープマゼンタはオーラの色ですか?
「マイクの質疑応答」より マイク・ブース
今日は「文化の日」、日本で一番晴天が多い日だと言われています。
たいていこの日は、地上にさんさんと陽の光が注いでいるようです。
ところで、地球上の昼間の野外の物体の色は太陽光線を反射した色ですから、あらゆる光線を反射すればそれはすべての色の加法混色で「白」になりますよね。
地球上の白い物体は太陽光線のすべてを反射しているわけです。
樹々の葉っぱなどは緑の光線だけを反射し、また赤い薔薇の花は赤い光線だけを反射しているわけでしょう。
その反対に、物体のなかにはすべての光線を反射しないで吸収してしまうものもあるようです。
これが黒い物体として見えるのでしょうし、たとえ土などのように本来は黒くなくても、深い穴になって光線を反射しなければ、その穴は黒々と見えるわけでしょう。
ところで、ご存知のようにオーラソーマでは「黒」という色を認めていないので、すべての色彩光線を吸収した色をディープマジェンタと呼んでいます。
つまり、オーラソーマでは、ディープマジェンタはすべての色彩光線を吸収した色であるわけです。
今回ご紹介しようと思う記事もマイク・ブースの質疑応答からですが、この質問がじつに秀逸です。
それは「ディープマゼンタはオーラの色ですか?」というのです。
一瞬、え、だってディープマジェンタもカラーローズにある色じゃない (?_?)、と思いますが、なるほど、考えてみると質問者の意味はわかります。
なぜなら、ディープマジェンタはすべての色彩光線を吸収した色だからです。(*^_^*)
たしかに、それがオーラの色だとちょっと変かもしれません。
でも、「クリアー」がカラーローズの中心点であるのと比べると、ディープマジェンタは、マジェンタの位置でしょうから、カラーローズの12色の一つでもあります。
さあ、マイクはなんと答えるのでしょう?
楽しみですね。(^^;)
では「マイクの質疑応答」から、それに触れている部分をご紹介しましょう。
—————————————————————— 質問 B54はオーラの色ではないと教えられています。それではディープ マゼンタはオーラの色ですか? それとも全ての色を吸収している のでオーラの色ではないのですか?
マイク セットの中にはオーラボトルとして選ばれることのほとんどない二、三のボトルがあります。 それらがファーストポジションに来ないもう一つの理由があります。 私が話しているのはB54とB26のことですが、どちらもオーラヴァイブレーションとは考えにくいでしょう。 それは誰かがB54の意味するところの完全に透明な状態でこの世に生まれるということは考えにくいからです。 それは起こり得ることではないでしょう。 それは完全なる光明を得た存在が、光明の表現として果たすべき何らかのワークを持たずに、この世に生まれるということですから。
オレンジに関して言うなら、オレンジは意識の最前線に現れやすい、ショックを表わす色で、ショック体験以前の真のオーラの色を覆ってしまうので、オーラボトルとはほとんどなり得ないでしょう。
ディープマゼンタはオーラの色と言えます。 ディープマゼンタはクリアと違い全ての色を含み、吸収しています。 ディープマゼンタの光線に生まれた人はレッドやヴァイオレットやブルーの光線の人である可能性があり、多かれ少なかれどんな色でもあり得ます。 しかし何が実際に起こったかと言うと、その魂はその内側に存在する影を見つめ、その影の中に全ての色を見る可能性を第一の目的として、今回生れて来ることを選んだのです。 古今を通じて、他の魂達のためにこの世に戻って来ることを選んだ魂の存在を説く様々な精神的霊的伝統が存在します。
ディープマゼンタに関わる物語の一つは、ボディーサットバ(菩薩)の誓いと呼ばれるものです。 全ての衆生が救われるまで、この地球に戻り続けるという誓いです。 この背後にあるのは、ある存在が他の全ての者への奉仕のために自らの悟りを捨てるという考えなのです。 ですからその存在は誓いが果たされるまで何度もこの世に戻って来るのです。 ディープマゼンタはその表現なのです。 これは光明を得ていない存在が内に秘めている可能性を、絶対的明晰さを持って見ることで、私たちはその存在たちが自己救済もしくは光明ヘの道を歩むのを手助けすることができるかもしれないことを意味します。
『リビング・エナジー』Vol.2(p80-81) ——————————————————————–
ふーむ。(-_-;)
「その魂はその内側に存在する影を見つめ、その影の中に全ての色を見る可能性を第一の目的として、今回生れて来ることを選んだ」……。
なるほどなぁ、ディープマジェンタの意味を考えると、とても的確な表現ですね。
「光明を得ていない存在が内に秘めている可能性を、絶対的明晰さを持って見ること」かぁ。(-_-)
pari 記
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