あらゆるものの背後には意識が存在する

あらゆるものの背後には意識が存在する
「癒しとは何か ?」から   マイク・ブース
       「あらゆるものの背後には意識がある」、言葉を換えて、現象世界にはすべて純粋な意識が浸透している、というのはいろいろな霊的伝統が等しく一致する見解のようです。
ただし客観的物理世界として現象するために、現象にはたやすくはまわりの環境に応じて変化しない物質的側面が必要です。
この容易には変化しない物質的側面に自己同化することが物質的世界に生きるということであり、その喜びと悲しみの原因でもあるのでしょう。
つまり、思うに任せない物理次元に自己同化して生きることこそが、人間としての最大の娯楽であり苦しみの原因でもあるわけでしょう。
しかし、物理現象とは言っても、即座の応答性を簡単には許さない厳格な物質的現象の水準と、まわりの環境に即座に応答する微細な波動現象としての水準など、多様なレベルが存在するでしょう。
その意味では、色彩という普遍言語は、厳格な物質的現象から微細な波動現象までの多様なレベルに浸透する側面であるようです。
だからこそ色彩現象は、無意識的レベルから意識的レベルまでを覆う非常に包括的な現象でありうるのでしょうね。
では、マイク・ブース氏の解説を聞いてみましょう。
       —————————————————————— 3番めに、全てあらゆるものの背後には意識が存在するということです。 意識はそれ自体の存在を認識する可能性を持っています。 その意識は色と光の特定の波長と周波数として現れます。 意識が色や光として現れるというのはオーラソーマの考えに限ったものではありません。
多くの古代文明や叡智の伝統においては、意識というものが五感が体験するのとは別に、色と光を直接体験するということが認識されていました。 98種類のボトルを目にするとき、私たちが肉体を持つ以前の意識がいかなるものだったのか、そして私たちが自らの使命と目的として何を選んでやってきたのかを理解するのです。
これは私たち一人ひとりにとって非常に固有で個人的なことです。 私たちの内なる扉の鍵を開き、感情と思考の部分にあるパターンや型を開放するために、このコードを使うことができるのです。 そうすることで意識が光と色として直接それ自体を体験するという癒しのプロセスへと入って行く可能性が生まれるのです。
        『リビング・エナジー』Vol.2(p68)
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【あらゆるものの背後には意識が存在する】……。
【意識はそれ自体の存在を認識する可能性を持っている】……。
ここにはとても重要な鍵が語られているようです。
誰が世界に気づいているのか?
世界は世界に気づいているだろうか?
そんなことを考えて連想すると面白いですね。(^^)/
pari 記

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