説明しがたいこと、理解しがたい事柄
現れの世界は、つねに変化の絶えない世界です。
現れに意味を求めるかぎり、それはどこまでも深く、意味深い世界を展開していくとも言えるでしょう。
でもそのことは同時に、すべての意味がつねに他のものとの関係のなかにあることを意味してもいます。
ということは、すべてが変動していくにしたがって、その相対的な意味も変動していかざるをえないわけでしょう。
子供のころに見えていた世界、そのとき思っていたこと、それをずっとそのまま持ち続けることは、誰にもできないことでしょう。
子供は、いつか大人にならなければなりません。
いろいろな事柄の新鮮な意味は、そのままで生き続けることはできません。
それはいつか整理されたひとつの体験となって、記憶のなかにしまい込まれてしまうしかないでしょう。
ということは、現れのなかのあらゆる事柄やその意味は、絶えず変化の波に晒されているということです。
ある意味で、どんな意味も、そのままではいられないわけです。
現れの世界に、永遠に変化しないものが存在しないように……。
現れの世界のなかに、究極の現象も存在しなければ、究極の意味も存在できないでしょう。
今回ご紹介するマイク・ブースの揺らぐような物言いには、色という現れの世界の根幹に携わる仕事を選んだ人の、一種“苦渋に満ちた”“曰く言いがたい”、屈託がにじみ出ているように思われます。
もちろん、マイクがいつもこんな気分でいらっしゃるわけではないでしょうが。
では、マイク・ブースの「アドバンス・コンサルテーション・テクニック」から「説明しがたいこと、理解しがたい事柄」について答えた部分をご覧ください。
——————————————————————– 常に私たちは、色と光のワークの最先端を推し進めています。 不合理な物事を合理化しようと努め、説明しがたいこと、理解しがたい事柄に意味を与えようとしています。
しかし、私たちのいる位置とは、常にそうしたものなのです。
私たちは今、起こっている物事を釈明しようとする必要はないというところに行く必要があるのだと思います。 ヴィッキーが変化の妥当性を見て取り、できるだけクリアな方法で、その時点において、そうした事柄のサポートを必要としている人たちに対して見ているものを説明していた、そんなやり方でこれらの関連を見る必要があるのだと思います。
そして私は反面、将来別のレベルでの安定が戻ってくるかもしれないという楽天的考えも持っているのです。 しかし、やはりそういうことはないかもしれません。 不安定さというのが、全体の一部となり、特定の色を持ったさまざまなボトルのカタログが載っている図や、色のシートなどを手放さなくてはならなくなるような時がくるかもしれません。 というのも、そうなれば、私たちが現実に目にしているもの、それは私たちがいる時代にふさわしい色を持ったボトルであるわけですが、そうしたものに直面した時に混乱が生まれるでしょうから。
とにかく今は待ってみる必要があるでしょう。 私は本当に、聖なるもの、奇跡的なものの結果を簡単に片付けたくはないと思 っているのです。
『リビング・エナジー』Vol.4(p6) ——————————————————————–
なるほど……。
「起こっている物事を釈明しようとする必要はない」……。
このとても不思議な言い方に、いつも「起こっている物事」の説明を求められ、その求めに可能なかぎり応えてきた方の、苦渋と責任感が現れているようにも感じられます。
そうですよね、だって、もしかしたら、起こっていることは、ただ起こっているだけで、そこに特別な意味などはないかもしれないのですから。
pari 記
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